ホモ・サピエンスの涙(2019)

製作国:スウェーデン/ドイツ/ノルウェー
監督:ロイ・アンダーソン
脚本:ロイ・アンダーソン
出演:マッティン・サーネル/タティアーナ・デローナイ/アンデシュ・ヘルストルム 他
★★★☆☆


俺たち(人類)に明日はない

ロイ・アンダーソンの映画は、これまでに『散歩する惑星』(2000)、『愛おしき隣人』(2007)、そして本作の計3作品を観ているんですが、これらに共通しているのは、基本的に「オチのないコント」風のワンカット・ワンシーンの短いエピソードを連ねていく形で構成されていて、なおかつ登場人物のほぼ全員が不幸であるということです。
例えば『散歩する惑星』では、老いた手品師が人体切断のマジックに失敗してしまったり、迷子になった男が別に何もしていないのに因縁つけられて殴られたりするし、『愛おしき隣人』では、ロックスターに片思いし続ける少女や、とにかくメチャクチャツイてない夫婦などが登場し、ひたすら己の不幸を嘆き続ける。そして本作でも神の存在を信じられなくなった牧師や、成功した旧友と道ですれ違ったのに無視されたことにこだわり続けるおっさんなどの、気の毒なんだけどじわじわ来るエピソードが羅列されます。
要するに、この3本とも結構不幸な人々を描いているんだけれどニヤリとしてしまう奇妙な味わいの短編集みたいな作品だということなんですが、僕がどうも腑に落ちないのは、これも3本とも「苦しみや悲しみばかりの世界だけれど生きていれば希望があります」的な作品であるかのような宣伝の仕方がされていることです。いや、どれもそんな映画じゃないんじゃないか? むしろ基調はペシミスティックだと思うんですが。
まず『散歩する惑星』ですが、この作品の舞台はたぶん北欧のどこかと思われる架空の国のようなんですけど、実は経済が破綻していて国民が我先に国外に脱出しようとしているという事情が各エピソードの背景にある。そして国家の危機を救うために、万策尽きた政府がついにヤケクソになってとんでもない「儀式」を行ってしまい、その「儀式」の後、自己嫌悪に駆られた政府の人間たちが酒場でゲロ吐くまで泥酔するというエピソードもあって、これが本当に陰惨というしかない。また、いやでもナチスの影や神への失望を感じさせるエピソードもあり、どうも全然「希望」なんか無い感じです。
愛おしき隣人』は、これも北欧の架空の町が舞台で、登場人物は全員その町の住人ということらしいんですが、まあネタバレになるんで詳細は省きますが、最後にはカタストロフの予感で終わる。これまた「希望」なんてありはしない。
そして本作は、上記の2作品とは少々趣が異なっていて、もはや「オチのないコント」風エピソードですらない、本当に日常の些細な一コマを切り取ったスケッチも含まれた作品であり、その中には確かに人生のささやかな喜びを捉えたという風味のものもあるんですが、動物や昆虫を観察するような距離感が常に保たれているうえに、完全に人類が滅んだあとにしか見えない世界をその上空から眺め続ける謎の男女なんてものを唐突に出してくるあたり、実はこの作品自体が、この男女(神?)による滅び去った人類の在りし日の姿のランダムな回想の記録という裏設定なのでは?と勘ぐってしまう。少なくとも「希望」が語られていないのは確かだと思うんです。
どうもこの3本を観た限りでは、ロイ・アンダーソンは、その愚かしさを愛してはいても人類にはもはや何も期待していないんじゃないか?と僕には思えるんですけど、どうでしょうかね。