愛おしき隣人

「明日なんか来なければいいのに」と思っている人のために

2000年のカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞した『散歩する惑星』という映画が大好きな僕は、その作品の監督、ロイ・アンダーソンの新作ということで、仕方なく、いけすかないことこの上ない恵比寿ガーデンプレイスまで、いやいやながら足を運んだ。
結果として、映画はまたもや傑作だった(恵比寿ガーデンプレイスは相変わらず嫌いだが)。
散歩する惑星』同様に、本作にもストーリーはない。「オチのないコント」風のエピソードが淡々と綴られていく。
舞台は恐らく北欧のどこかの街で、登場人物はその街の住人たちであり、誰もが自分の不幸を嘆いている。「誰も私を理解してくれない」と泣き叫ぶデブの主婦、ロックスターに捨てられて悲しむ少女、銀行に資産運用を失敗された男、実の息子に大金をせびられる老人、患者を診察することにうんざりしてしまった精神科医……。今にも自殺しそうな連中ばかりだ。
彼らが集まるバーが何度か登場する。店主は毎回同じ台詞を叫ぶ。「さあ、みんな、ラストオーダーだよ! また明日があるから!」すると店内の客はノロノロと最後の酒をオーダーするためにカウンターに集まる。明らかに「明日なんか来なければいいのに」と思っている人間特有の重い足取りで。
ロックスターに捨てられた少女が、自分が見た夢を語るシークエンスがある。夢の中で彼女はロックスターの彼と結婚している。彼らの新居は列車のように線路の上を移動しており、窓から移り変わる景色を見ながら、彼はギターを弾く。それを幸せそうに眺める彼女。駅に着くと見知らぬ人々が大勢集まっていて、新郎新婦である彼女らを祝福してくれる。彼女は語る。「みんな、知らない人たちなのに親切だったわ。素晴らしかった」
こうして思い出してみると泣けてくる。彼女は夢の中でしか幸せになれないのである。
それでも明日は否応なく訪れる。彼らは嘆き哀しみながらも自らの人生を生きていくしかない。
しかし、その誰もが来て欲しくない明日が巨大な暴力によって、本当に来なくなることを予感させるシーンで、この映画は終わる。
ロイ・アンダーソンのメッセージは明確かつニヒリスティックだ。
「我々は、この辛い人生を何とかやり過ごすスキルを身に付けなければならない。本当に明日が来なくなる日までは」
自殺者が年間3万人を超える、この国でこそ多くの人に届いてほしい作品である。