監督:黒沢清
脚本:黒沢清
音楽:渡邊琢磨
出演:吉岡睦雄/小日向星一/天野はな/田畑智子/渡辺いっけい 他
★★★★☆
「空気」が怖い
本作中で起こる出来事だけを羅列してみると、本当に不条理この上ない。まず料理教室に通う若い男性が、訳のわからないことを口走った挙げ句、授業中に自殺(?)する。それを目の当たりにした料理教室の講師である主人公(吉岡睦雄)は、女性の生徒を唐突に刺殺する。しかし彼女の死体を埋めた翌日に、殺したはずの生徒が訪ねてきて、主人公が、彼女が待っているはずの教室に行ってみると幽霊が出現(したらしい。はっきりとは描かれない)。そして主人公とその家族の破滅を匂わせて、本作は終わる。
こう書いてみると「全然わけがわからない、それの何が怖いの?」と思う人もいるだろう。しかし、この45分しかない作品は、近年まれに見る怖ろしい映画なのである。なぜか。それはこの作品内に充満する空気に由来する。ここでいう空気とは読んだり読まなかったりする、あの空気ではなく、我々の生息する世界にもあまねく存在する文字通りの空気のことである。
どうやら、この映画の世界の空気は、人間の内面に潜む狂気を感染させる性質があるのだ。狂気は、教室で自殺(?)した生徒から主人公へ、さらに主人公の家族へと拡散する。いや、あるいは主人公から生徒や家族に感染したのかもしれない。しかしそれは大した問題ではない。狂気が人から人へと伝わることを可能とする空気こそが恐怖の源なのだ。そんな空気に満たされた世界ではどんなことでも起こり得るからだ。例えば、カフェで主人公の近くに居ただけの人物が突然ナイフを振りかざし、すぐそばに座っていた人を襲うというような。
しかし、この空気とは、本作だけのあくまでもフィクショナルなものだろうか。ときどき、なぜそんなことが起こったのか、全く理解できない異様な事件が起こることがあるが、そういう事件の現場には、この作品中のそれと同じ空気が流れているのではないだろうか。本作を観て、そんな妄想に駆られてしまった。