新聞記者(2019)

製作国:日本
監督:藤井道人
原案:望月衣塑子『新聞記者』(角川新書)/河村光庸
脚本:詩森ろば/高石明彦/藤井道人
音楽:岩代太郎
出演:シム・ウンギョン/松坂桃李/本田翼/岡山天音北村有起哉田中哲司 他
★☆☆☆☆


その拍手はどこに向けられていたのか

僕はこれまで度々書いてきたように、ストレス解消のために、意味もなく大量に人が死にまくるような映画ばかり選んで観たりしている、およそ上品とは言い難いタイプの映画ファンです。ですから、「現在進行形の政府への疑惑をモデルにしたポリティカル・サスペンス」であるところの本作みたいなスキャンダラスな作品も大好物ですし、終映後に客席から拍手が湧いたという記事も見かけたので、何だか面白そうだなと少々期待して観に行ったのでした。以下ネタバレあります。

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旅のおわり世界のはじまり(2019)

製作国:日本/ウズベキスタン
監督:黒沢清
脚本:黒沢清
音楽:林祐介
出演:前田敦子加瀬亮染谷将太柄本時生/アディズ・ラジャボフ 他
★★★☆☆

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前田敦子は一人で歩く

日が落ちかけたウズベキスタンの路地裏を、とっくに道に迷ってしまっているのに、とにかく前へ前へと進み続ければホテルへ帰ることができるのだという不可解な確信を抱いているかのように、ひたすら速足で、前田敦子は歩いていく。カメラはその姿を追い続ける。一心不乱に歩き続ける前田敦子の後ろ姿。本作で最も印象に残ったのは、このシーンです。
初めて訪れた異国の地で一人で行動するというのは、男性でも躊躇したっておかしくない。しかし前田敦子は迷わない。どこへでも一人で出かけて行く。TV番組のレポーターである彼女以外の取材クルーは全員男性なんだけれども、彼女は彼らに決して頼ろうとしない。そして、仕事の過程で食べたくないものを食べさせられ、やりたくもないことをやらされても彼女は愚痴ひとつこぼさない。それはレポーターという仕事をしている彼女のプロ意識から来ているように一見見えなくもないけれど、実はそういうことではなく、彼女は徹底的に「閉じてしまっている」んですよ。取材クルーに対して、ウズベキスタンの人々に対して、要するに世界に対して自分を閉じてしまっている。彼女が唯一心を開くのは、東京にいる恋人に対してだけです。
こういう書き方をすると、すごく頑なな感じがするし、実際そういう人物にも見える。でも本当は歌手になりたいという夢を抱きつつ、実は不本意な仕事に甘んじている彼女にとっては「世界に対して自分を閉じる」というのはいわば自我を守るための「処世術」であり、そういう生き方を選ばざるを得ない彼女に共感する人は男女を問わず、少なからずいるんじゃないでしょうか。ていうかまさに僕もその一人だったわけなんですが。
だからこそ、ラストで彼女が、まさに世界に対して自分を解放する姿が映し出された時、なんかもう素直に「ああ、良かったなあ」と思ってしまった。と同時に黒沢清ってこんな映画も撮れるんだなあという感嘆の念も湧きました。

ハウス・ジャック・ビルト(2018)

製作国:デンマーク/フランス/スウェーデン
監督:ラース・フォン・トリアー
原案:イェンレ・ハルンド/ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:マット・ディロンブルーノ・ガンツユマ・サーマン/ソフィー・グローベール/ライリー・キーオ 他
★★★☆☆


コレジャナイ「シリアル・キラー映画」

僕はラース・フォン・トリアーの作品は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『アンチクライスト』そして本作の3本しか観ていないんですが、その上で言うとこの人、自作に何らかの期待をして観に来てくれた観客に「コレジャナイ…」という気分を味わわせることを生きがいにしている謎の悪意に満ちた異常監督だとしか思えないんですよね。
というのも『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は「ビョーク主演のミュージカル映画」だから観に行ったというビョークのファンも少なくなかったと思いますが、確かにそれは間違いではないものの、まさかあんな胸クソ悪い思いをさせられるとは夢にも思わず「コレジャナイ…」となっただろうし、「シャルロット・ゲンズブールの全裸セックスシーン満載!」ということでスケベ心を煽られて『アンチクライスト』を観に行った男性諸氏も、確かにセックスシーンにかなり時間を割かれてはいるものの、それ以上に心底げんなりさせられるシーンがてんこ盛りなので、「コレジャナイ…」と落胆したことだろうと思うからです。
で、本作はどういった客層への悪意が込められているかというと、いわゆる「シリアル・キラー映画」を愛好するような観客だと思うんですよ。って俺じゃねえか。いや本当に、頭がちょっとアレな連続殺人鬼が常軌を逸した残虐な手口で何の罪もない人間を殺しまくるような映画を好んで観るような人なら、まあ当然、本作にだって食指を伸ばしがちだろうと思うんですが、実際に観て「うーん、コレジャナイ…」となった人は結構いるんじゃないでしょうか。
確かに本作では、主人公・ジャック(マット・ディロン)が最初の犠牲者(ユマ・サーマン)を皮切りに連続殺人犯と化してゆく様を描いている訳ですが、この男、自分には芸術的才能があると思い込んでいて、いわばアートとしての殺人なのだと自己規定しているんですけど、全然アートでも何でもないのが一目瞭然なんですね。死体をソファにならべて写真を撮ったり、死後硬直する前に加工してポーズをとらせたり、地面に並べてインスタレーション作品みたいにしたりするんですが、まあ、およそ芸術なんてものに縁のない僕からしても単純に悪趣味なだけとしか思えない。自分で設計した家を建てようとしては、自ら失望して壊してしまうことを繰り返すのと並行して、殺人を続ける彼は、本当は自分には芸術の才能なんて皆無なのをわかっていて、そのことへの怒りのために人を殺しているんではないかとさえ思える。観ているうちにだんだん悲しくなってくる始末です。
そして、観終わってつくづく思ったのは、いわゆる「シリアル・キラー映画」は、劇中でどんな惨劇が描かれようとも「芸術的な洗練」がなされているんだということです。だからこそ僕たち観客は『羊たちの沈黙』も『セブン』も、その他数多くの「シリアル・キラー映画」も娯楽として享受できる。ところが本作はその「芸術的な洗練」を極限まで削ぎ落として「ほら、お前たちが望んだシリアル・キラーの物語だよ」と観客に提示している。だから「コレジャナイ…」となるのは必然なんですね。そんな映画の主人公であるジャックが「ミスター・洗練(ソフィスティケート)」と劇中で名乗っているのは、もちろんラース・フォン・トリアーの嫌味に決まっており、本当にイヤな奴だよと思いました。

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019)

製作国:アメリ
監督:マイケル・ドハティ
原案:マックス・ボレンスタイン/マイケル・ドハティ/ザック・シールズ
脚本:マイケル・ドハティ/ザック・シールズ
音楽:ベアー・マクレアリー
出演:カイル・チャンドラーヴェラ・ファーミガ/ミリー・ボビー・ブラウン渡辺謙チャン・ツィイー 他
★★☆☆☆


GODZILLAを崇めよ」とマイケル・ドハティも言った

GODZILLA ゴジラ』(2014)および本作の内容に触れておりますので、未見の方は鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

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アメリカン・アニマルズ(2018)

製作国:アメリ
監督:バート・レイトン
脚本:バート・レイトン
音楽:アン・ニキティン
出演:エヴァン・ピーターズ/バリー・コーガン/ジャレッド・アブラハムソン/ブレイク・ジェナー 他
★★★★★


藪の中の“True Story”

冒頭、「THIS IS NOT BASED ON A TRUE STORY」という字幕が表示されたあと、「NOT BASED ON」が消えて「THIS IS A TRUE STORY」が残る。つまり「実話を元にした物語ではなく『真実の物語』ですよ」といきなり宣言しちゃうわけで、そんな大それたことを言いだして大丈夫なのか?と心配になりましたが、確かにそう宣言するだけのことはあって、何しろ大学の図書館から時価1200万ドル相当の稀覯本を盗み出して、それを売却し、大金を手にするという計画を立てて、実際に事件を起こした挙げ句服役した犯人たちご本人が登場してくる。それも観る前に僕が予想していたようなカメオ出演なんてレベルではなく、堂々とカメラの前でインタビューを受けて、当時の心境やら事情やらを語るんですから驚きました。
基本的には、俳優たちが演じるドラマのところどころに、犯人たちのインタビューが挿入されるという構成なんですが、犯人グループの一人であるウォーレン・リプカ(エヴァン・ピーターズ)が車内でウォーレン・リプカ(本人)に「これは君の記憶どおりか?」と聞いたり、やはりグループの一人であるスペンサー・ラインハード(バリー・コーガン)が運転する車を、歩道に立ったスペンサー・ラインハード(本人)が見送ったりと、「事実」と「虚構」の境界を無効化するような演出が為されていて非常に面白い。で、こういったことをするのにはそれなりの理由があるはずで、思うに本作の監督であるバート・レイトンは、そもそも「事実」と「虚構」の間に差異なんかないんじゃないの?と考えているのではないかと思うんですよ。
例えば、ウォーレンとスペンサーがセントラルパークに行き、盗難品を買ってくれる裏社会のバイヤーに接触するという場面があります。ウォーレンがその男からメモを受け取り、スペンサーはその様子を見ていた。ところがその男の外見についての二人の記憶は全く違っている。そもそも誰が事件を主導したのかについても二人の見方はくい違う。さらに、セントラルパークで会ったバイヤーにさらに紹介された別のバイヤーに会うためにウォーレンが一人でアムステルダムに行ったことさえ、それが本当かどうかをスペンサーが疑っていることも明らかになります。
つまり「事実」とは何か? それは「虚構」とどう違うのか?という問いかけが、ここでは行われている訳です。そして「事実」と「虚構」の間に違いなどないとするならば、それは「事実」とは誰に語られたかによって内容に違いが生じるものであるということが根拠となるのではないか。ウォーレンの視点から見た「事実」とスペンサーの視点から見た「事実」が一致しない以上、それを「虚構」と呼んだところで何の問題があるのか?とバート・レイトンは言っているのではないか。
こうして「真実の物語」だと宣言して始まった本作は、最終的には「真実」がぐらぐらと揺らいだ挙げ句「藪の中」に消えてしまう様を見せつけるに至ります。しかし、逆説的ですが“「事実」と「虚構」に違いはないという「真実」”こそが本作で語られたのだとすれば、まさに本作こそ本当の「真実(について)の物語」と言えるのではないでしょうか。

運び屋(2018)

製作国:アメリ
監督:クリント・イーストウッド
原案:サム・ドルニック
脚本:ニック・シェンク
音楽:アルトゥロ・サンドヴァル
出演:クリント・イーストウッドブラッドリー・クーパーローレンス・フィッシュバーンマイケル・ペーニャアンディ・ガルシア 他
★★★★☆

ボケてるのか、呆けてるのか

本作の最初のうちは、正直言って結構ショックでした。というのも僕は、イーストウッド出演作を観るのは『グラン・トリノ』以来であり、あの作品では老いたりといえど、どうにも始末に負えない頑固ジジイという感じで、まだまだその辺のチンピラくらいなら軽く殺っちまうぞという雰囲気が漂う、それまでイーストウッドが演じてきたキャラクターの延長線上の役だったと思うんですが、本作で彼が演じるアールという爺さんは、もはやそんなイメージなどかけらもない、身も蓋もなくヨボヨボした単なるジジイだったからです。
しかも金に目がくらんで、勧められるがままにメキシカンマフィアの麻薬密輸の片棒を担いでしまうという、唖然とするほどアホな爺さんの役なので驚きました。こんな愚かしい人間を演じるイーストウッドを観るのは初めてだったもので。
ところが、そんなアール爺さんが犯罪にどんどん手を染めていくのが描かれるのに、そのことをどこまで自覚しているのかいないのかがいまいち判然とはしない。それどころか下手すりゃ殺されてもおかしくないのに凶暴なマフィアを相手に平然として(いわゆる「天然」的に)ボケをかます。いや、それとももしかすると(病理的な意味で)呆けてるのか?と心配にもなる塩梅です。だってマフィアのボスに気に入られて自宅に招待されたからって本当に行く奴があるかって話ですよ。
そういう具合で、劇中でアールに関わる登場人物ばかりでなく観客でさえも、この爺さんは本当に大丈夫か?と心配になる迷走ぶりなんですが、当の本人だけは終始上の空なんですよ。その上の空の人が「家族を大事にしろ」とか「悪事を辞めて本当に好きなことをしろ」とか正論をときどき思い出したように言い出すので、ますます困惑させられる。いったいこの人はボケてるのか?呆けてるのか?
この、ある意味でスリリングなキャラクターの魅力だけで、この映画は成立していると言っても過言ではないです。銃撃戦もなし、カーアクションもなし、あっと驚くどんでん返しもなし。ただただボケてるのか呆けてるのか、最後まで判然としないイーストウッドの泰然自若とした、もはや演技なのかそうでないのかもわからない「在り様」を堪能する作品だったなあというのが僕の感想です。

THE GUILTY/ギルティ(2018)

製作国:デンマーク
監督:グスタフ・モーラー
脚本:グスタフ・モーラー/エミール・ニゴー・アルバートセン
音楽:カール・コールマン
出演:ヤコブ・セーダーグレン/イェシカ・ディナウエ/ヨハン・オルセン/オマール・シャガウィー 他
★★★★☆


電話の相手の顔は見えない

全く自慢にならない特技なんですが、僕はこれといった訳もなく会社を休みたくなって、仮病を使ってサボることにした時、上司への電話でいかにも体調不良っぽい声を出すのが得意です。本当はハナクソほじりながらYouTubeを眺めつつ電話してるのに「大丈夫? 無理しないで明日も休んでいいから」とか言われるほど苦し気な声を絞り出せるという才能がある。
以下、当たり前中の当たり前のことを堂々と述べますけど、そうやって上司をコケにして会社をサボれるのも、電話が基本的に音声しか伝達しないからです。これがもしも「テレビ電話」だったらそうそううまくはいかない。顔を真っ赤にしてウンウン唸るという小芝居も付け足さなければならず、面倒くさいことこの上ないことになります。ていうか簡単にバレる。21世紀になっても「テレビ電話」が一向に普及しないことには感謝しかない。
この電話というものの、繰り返しになりますが当たり前すぎて見逃されがちな「音声しか伝達できない」という性質を、作品中の「トリック」に最大限に利用したのが、この映画だと言うことができると思います。電話の向こうで本当は何が起こっているのか、それは電話ではわからない。そこに罠があるわけです。
とはいうものの本作で主人公が関わることになる「誘拐事件」の真相は、この手の作品を見慣れたカンの良い人なら割と早めに気づいてしまうだろうなとも思います。しかし、この結末はちょっと予想できないんじゃないか。そこに至るまでは「フーン、なるほどなるほど、やっぱりそうなるわけネー」などと余裕ぶっこいて観ていたんですが、完全に不意打ち的に熱いものがこみ上げてくるような次第になりまして、これは凄い作品だと思いましたよ。率直に言って一見の価値あり。