VIDEOPHOBIA(2019)

製作国:日本
監督:宮崎大祐
脚本:宮崎大祐
音楽:BAKU
出演:廣田朋菜忍成修吾/芦那すみれ/サヘル・ローズ 他
★★★★☆


自分という他人・他人という自分

本作を観て想起した、フィリップ・K・ディックの小説『暗闇のスキャナー』の主人公である覆面捜査官のフレッドは、麻薬流通経路の捜査のためにボブ・アークターと名乗って、あるヤク中のグループに潜入しているんですが、ある日、上司の命令で自分自身を容疑者として、隠しカメラを駆使して監視するはめになります。当然のことながら、当初は監視している自分とされている自分が同一人物であることを意識していたものの、潜入捜査の過程で摂取した麻薬に脳を侵されつつあった彼は、いつしかアークターをまるで他人であるかのように見なすようになってしまう。

※以下、本作の内容に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

一方、本作の主人公・愛(廣田朋菜)は、クラブで知り合った行きずりの男(忍成修吾)と一夜を共にした後、彼と自分がセックスしている様子を撮影した動画がネット上にアップされていることに気づき、深刻な恐怖に駆られて何とか自力で解決しようとします。しかし男も、彼に連れ込まれた部屋も消えてしまい、相談に赴いた警察の担当者は、動画に映っている女が愛であることを疑うような素振りを見せる。思い返してみると劇中で、その動画を見て「これは自分だ」と判断しているのは愛自身だけであり、もしかすると自分とよく似た女を自分であると見なしてしまっている可能性もある。つまり、上記の『暗闇のスキャナー』のフレッドとは逆に、他人を自分のように見てしまっている状態に陥っているとも考えられるわけです。
しかし、『暗闇のスキャナー』と本作において主人公を追いつめるものは一致していて、それは「映像の中の自分が自分である(あるいは自分ではない)と証明することはできるか?」という問題です。捜査対象であるヤク中たちには勿論、個人情報保護のために上司を含めた警察内部の人間にも一切正体を明かしていないフレッドは、たとえ「アークターと俺は同一人物なのだ」と告白したとしても誰にも信じてもらえないという状況にある。対して愛は、「この動画に映っているのは私なのだ」と第三者に大っぴらに主張することが、動画の内容からして憚られる立場に追い込まれていて、動画に映っている女が本当に自分なのかどうかを検証することもできず、ひたすら自分の内部で恐怖を募らせ続けるしかない。結局どちらの主人公もこの問題と葛藤した結果、フレッドは「廃人」となってしまい、愛はある意味で「自分を捨てる」という道を選ぶに至る。
ところで考えてみれば、これは何もフィクションの中でしかあり得ない事態なのではなく、映像に記録された自分を「これは自分である/自分ではない」と証明することの困難さ・不可能性は、今や現実に生きる我々にとっての問題にもなっていると言えると思います。画像や映像を加工する技術は飛躍的に進歩し続けており、動画の中の人物の顔を自在に他人のものに差し替えることができる「ディープフェイク」なんてものまで登場してきた現在、愛が味わった悪夢は全く他人事ではなくなっている。本作が、まさに誰でも簡単に動画が撮影できて、ネットによって世界中に公開することができるようになった時代ならではの恐怖譚だと思う所以です。

※5月26日、加筆修正