2023年12月の鑑賞記録+α

大変遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。


『ザ・バニシング-消失-』シネマート新宿 '23・12・2
『コーポ・ア・コーポ』シネマート新宿 '23・12・4
『首(2023)』TOHOシネマズ池袋 '23・12・5
『メンゲレと私』東京都写真美術館ホール '23・12・10
『枯れ葉』ユーロスペース '23・12・17
『真夜中の虹』(愛すべきアキ・カウリスマキユーロスペース '23・12・17
ビデオドローム 4Kディレクターズカット版』新文芸坐 '23・12・18
過去のない男』(愛すべきアキ・カウリスマキユーロスペース '23・12・19
『王国(あるいはその家について)』ポレポレ東中野 '23・12・22
『ゲット・クレイジーストレンジャー '23・12・24
『パラダイスの夕暮れ』(愛すべきアキ・カウリスマキユーロスペース '23・12・30

昨年から始めた「鑑賞記録」ですが、その月に観た作品の中から、特に何か書きたいと思ったものを選んで、コメントのような文章を添えています。
で、そう言えば、これについてもちょっと書きたかったなという作品が、実は何本かあるので、以下にまとめました。


『ケイコ 目を澄ませて』テアトル新宿 '23・1・4
かつて在籍していた会社に、耳が聞こえない若い女性がいた。ゆっくり話せば、唇を読んで、僕や他の社員が話すことも理解できるので、仕事には支障がなかった。それどころか優秀な人だった。いつもニコニコしながら働いていて、皆から可愛がられていた。本作の大半で他人を拒否するかのように頑なな表情の、主人公ケイコとは、同じハンデを持っていても対照的ではある。
たぶん、僕の元同僚の彼女は、僕たちと仕事をすることを通じて、大げさに言えば世界とのつながりを得ていたので、あんなに楽しそうに振る舞うことができたのではないかと思う(本当は何を思っていたかはわからない)。一方、ケイコはずっと世界から拒絶されているように感じてしまっていて、恐らくはそんな世界と戦うためにボクシングを始めたのだ。ところが彼女は思いがけず戦う手段のはずだったボクシングを通じて、世界を理解し、和解し、つながりを持つに至るのである。本作はその軌跡をじっくりと描く傑作である。


『イニシェリン島の精霊』TOHOシネマズ新宿 '23・2・1
「お前の話はつまらないし、お前と話す時間は人生の無駄」ということを相手にわからせるために自分の指を切断するクレイジーなおっさんと、そこまで完全に拒否されているのに「いや、ホントは俺のこと好きでしょ?」とつきまとい続けるキモいおっさんの確執という、あまりにもセールスポイントに乏しい内容の作品だが、すこぶる面白い。そして本作は、いわゆる「紛争」が起こり、エスカレートするメカニズムをあからさまにし、また、それは、この二人のクソくだらない対立同様にくだらないのだということを示す寓話なのだと僕は理解した。


『対峙』シネマート新宿 '23・2・23
乱射事件を起こした少年Aの両親と、少年Aの被害者の両親との対話という、日本ではまず成立しないであろうセッションの一部始終。言葉による命がけの格闘という感があり、大変にスリリングで面白く観たが、最後の最後に放たれる少年Aの母親の「本当は息子に殺されるんじゃないかと思った時があって怖かったの~」というセリフでぎゃふんとなった。結局、人を殺すかもとは思ってたんかい!でも、それと息子を止められるかどうかは別だからなあ。そういうどうしようもない割り切れなさを最後に突きつけてくるところに「そうそうきれいな話にはまとめねえよ?お前らも、全く乱射事件が止まらない、この絶望的な現実を見て考えろよ!」という監督の意思を感じた。


『ザ・ホエール』グランドシネマサンシャイン池袋 '23・4・12
キリスト教の神は、聖書で定義された正しい者しか救わないが、人間は、それがたとえ悪意から発したものであっても、その言動によって、人間を救うことがあり得る。その一点で神よりもやっぱ人間だよなあ、と思わせる作品。
同性愛者である主人公の恋人は、彼の親が信じるキリスト教系の宗教に苦しめられて死んだ。恋人の妹はいまだに苦しめられている。人を救うはずの神が確実に人を苦しめている様が本作では描かれる。一方、思春期を盛大にこじらせた主人公の娘の無軌道な行動(問題の宗教の信者である若者が教会から金を盗んだことを告白する音声をひそかに録音して当の教会に送り付ける)によって結果オーライ的に若者は教会への帰還を許される。人間というものが神と違ってバグることを避けられない以上、こういうエラーが常に起こり、当事者は救われたり救われなかったりする。しかし、この方が人間の現実には合っているのだと思う。


『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』ヒューマントラストシネマ渋谷 '23・8・20
同じクローネンバーグ監督作の『クラッシュ』は「自動車事故」に欲情してしまう人々を描いた作品だった。対して本作は「外科手術」に快楽を求めてしまうカップルの物語である。自分の体内に変な臓器がポコポコできてしまうという、よく考えたら医学的に前代未聞の事態をくい止めようとするどころか、その臓器を切除する手術をアート・パフォーマンスと称して他人に公開している主人公とそのパートナー。それを受け入れている周辺の人々を含めて全員頭がおかしいとしか言いようがなく、彼・彼女らの紡ぐドラマもまた非常に「変態的」である。
まあ、よく考えてみるとクローネンバーグの代表作は、みな「変態的」といえばそうである。しかし彼の、登場人物の体温を感じさせない独自の作風により、一見そうは見えないだけなのだ。


君たちはどう生きるか』TOHOシネマズ新宿 '23・8・23
この映画、フィル・ティペットの『マッドゴッド』との共通点が多い。まず主人公が「下の世界」へ降りていくこと。全体を通して「物語」を形成しないこと。監督が(恐らくは)やりたいことだけやっていること。でも、自分の恥ずかしい(であろう)部分をもさらけ出している『マッドゴッド』の方が潔かったよなあと思う。


『ザ・キラー』シネマート新宿 '23・11・3
本作の感想ポストで「2020年代の『アメリカン・サイコ』」などと書いたのだが、この二作には通じるものがあると思うからで、常にエリートたる自分を意識し、かくあらねばならないという強迫観念を抱き続ける「意識高い系連続殺人鬼」が『アメリカン・サイコ』の主人公ベイトマンだとするならば、いわば「意識高い系殺し屋」といえるのが本作の主人公。常に「できるビジネスマンの成功の秘訣」みたいな言葉を脳内で呟きながら仕事してるくせにアホみたいな失敗をやらかした瞬間から、完璧なプロであるべき自己イメージがバグってしまい、どんどん暴走し始める。その目的は自分が如何に有能な人間であるかを自分に証明することであって、そのための行動が本来する必要があるか否か、あるいは合理的か否かは一切無視しており、しかもそのことを全然自覚していない(できない)異様さをファスベンダーの不気味な無表情がよく表している。


ところで、昨年12月に観た新作映画の中で、僕がお勧めしたいのは『枯れ葉』。問答無用の堂々たる名作。今すぐ観に行きましょう。