戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 最終章(2015)

製作国:日本
監督:白石晃士
脚本:白石晃士
出演:大迫茂生/久保山智夏/白石晃士宇野祥平 他
初公開年月:2015/4/11
★★★★☆

MCUマーベル・シネマティック・ユニバース)よりSKU(白石晃士ユニバース)!

【注意】以下の文章には、『コワすぎ!最終章』『コワすぎ!史上最恐の劇場版』『オカルト』『殺人ワークショップ』『ある優しき殺人者の記録』のネタバレ的記述が含まれていますので、できれば、この5作品を鑑賞後にお読みいただくことを推奨します。


前作『史上最恐の劇場版』において、「異界」に引きずり込まれてしまった工藤(大迫茂生)と市川(久保山智夏)はそのまま消息を絶ち、二人が消えたのと前後して新宿上空に出現した「巨人(鬼神兵)」が不気味な沈黙を守り続ける中、一人残された田代(白石晃士)は、ある日の深夜、ストリーミング中継によって、彼らが知った真実を世界中に発信しようと試みていた。そこへ突然現れた謎の男・江野祥平(宇野祥平)。彼は、工藤と市川をこの世界に連れ戻すためには、夜明けまでに四つの「ミッション」を田代自身がやり遂げなければならないと告げる……。
という訳で、『殺人ワークショップ』の講師役のまんまの宇野祥平が現れるや否や、僕のテンションは自動的に上がってしまった。さらに、その後、田代を待ち受けていた「ミッション」が、これまでひたすら撮影に徹していた彼にとってはどれもこれも文字通り「ミッション・インポッシブル」な案件ばかりで、本当に気の毒なんだが爆笑不可避であり、上がったテンションが下がるヒマもない。そして、その試練を乗り越えて、最終的に、ついに田代は、この世界の終わりと始まりをもカメラに収めることになる! POV版「2001年」誕生!!
こんな風に書くと、もうホラーじゃなくて完全にSFじゃないかと誰もが思うだろうが、実際、本作は「並行世界テーマ」のSF映画としての側面を持っており、『コワすぎ!』シリーズを中心に形成された、言うなれば「SKU(白石晃士ユニバース)」の構造の一端が明かされるという、白石晃士ファンにとっては実に興味深い作品でもあるのだ。
それというのも、上記のとおり、江野祥平は『殺人ワークショップ』の講師だった男だが、実は『オカルト』において白石晃士扮する「白石晃士」が行動を共にした「江野祥平」でもあるようなのだ。その証拠に彼は、田代をときどき「白石」と呼び、彼の手助けをする理由を「別の世界」での恩を返すためだと説明するのである(「最終章非公式報告書」参照)。
つまり『オカルト』が描いている世界は、『コワすぎ!』の舞台となっている世界とは別の並行世界だったということになる。ちなみに、『殺人ワークショップ』の主人公にラストで殺されてしまうDV男が、実は『コワすぎ!』FILE-02【震える幽霊】の投稿者の一人であり、『ある優しき殺人者の記録』は、終盤まで田代が撮影を担当しているということからして、『コワすぎ!』『殺人ワークショップ』『ある優しき殺人者の記録』の三作品が同一世界内を舞台にしているのは明らかだ。
そして、これらの世界は、それぞれ「異界」によって狙われている……というのが、「SKU」の基本的な構図のようである。このような図式は割とありふれたものだが、白石晃士の特異な点は、田代や工藤・市川たちのような人間と「異界」との対立を、紋切り型の善と悪の戦いの構図に当てはめようとしない点にある。
例えば、先述のように江野祥平は「別の世界(『オカルト』の世界)での恩を返す」ために田代のもとに現れる。しかし、江野は『オカルト』において渋谷駅前での自爆テロを決行し、「異界」に堕ちてしまった男なのである。白石=田代はそれに手を貸したのだ。それなのに「恩を返す」というのは、よく考えると理屈に合わない。「異界」に一度は取り込まれたことで、並行世界の間を行き来したり、瞬間移動したりできる超常的なパワーを手に入れることができたので、それを恩に感じているというのならわからないでもないのだが、そうであったとしても、彼は『殺人ワークショップ』では、「魂を解放する」という名目のもとに若者たちに殺人を教唆している。これらのことを考えると、一見して彼は「善」の側に立つ人間とはとても呼びがたい。
それは、本作での田代にも言えることである。彼は工藤と市川を救うために、ついに殺人を犯すのだ。それも、もともと『コワすぎ!』に関わらなければ「異界」に取り込まれずに済んだかもしれない女性を殺すのである。
だいたい、あの工藤でさえ、「鬼神兵」研究阻止という目的のためだったにしても「両親殺し」という重い十字架を背負っているではないか。
さらに言えば、『ある優しき〜』においては、「神」が要求した、連続殺人を完遂することによって、主人公は最後に「奇跡」を起こすことに成功するのだし、『殺人ワークショップ』でも、主人公は殺人によって心の平安を得る。
この「何かを得るために、反社会的・反倫理的な行為が必要とされる」という定理。これこそが「SKU」を貫く法則なのである。
そんな不条理な世界の中で、不浄な「神」に対して、決して完全な善人でもなければ美しくもない人間たちがしぶとく戦いを挑み続ける。それが「SKU」なのだ。
はっきり言って「MCU」より遥かに魅力的だと僕は思っている。