ゼロ・ダーク・サーティ(2012)

製作国:アメリ
監督:キャスリン・ビグロー
脚本:マーク・ボール
音楽:アレクサンドル・デプラ
出演:ジェシカ・チャステインマーク・ストロングジェームズ・ガンドルフィーニ 他
初公開年月:2013/02/15
★★★☆☆


「人を殺す」というお仕事

この映画を観る前に、たぶんネット上だったと思うが、本作は、キャスリン・ビグローの前作『ハート・ロッカー』とほとんど同じ話だという批評を目にした。しかし、実際に観てみて、僕はむしろスピルバーグの『ミュンヘン』(2005)と似ているなと感じた。どちらの作品も、国家の命令でテロリスト暗殺という仕事に携わる羽目になった人々を描いているという点において、である。
しかしテイストはずいぶん違っている。テロリストとはいえ、相手の命を奪わなければならない任務に苦悩しまくる『ミュンヘン』の主人公たちと比べ、本作の主人公・マヤ(ジェシカ・チャステイン)は何の迷いもなく、黙々とオサマ・ビンラディンの所在を追い求め続ける。まるで、ものすごく有能で仕事熱心なOLのように。ただ彼女の仕事はオサマ・ビンラディンの死という形でしか成就しないわけだが。
そのことに関して、彼女が何を感じ、何を思っていたのかについては一切描かれないので、想像するしかないが、結局のところ、自分で現場に行き、相手に手を下すわけではない彼女は、もしかすると最後にビンラディンの遺体を確認するまで、自分が「人を殺すというお仕事」に従事しているという事実に、いまいち実感が持てていなかったのではないだろうか。
いやいや、そもそも彼女は、映画の冒頭からアルカイダの関係者と目された容疑者への拷問を目の当たりにし、同僚を自爆テロで失い、さらには自らも襲撃されて危うく殺されかけたりもするのに、そんなノンキな話があるか、と本作を鑑賞済みの方なら言うかもしれない。しかし、それら全てのことに目をつぶって、何も考えずに、ただひたすら与えられた仕事をこなすことにのみ集中し続けたからこそ、彼女はビンラディンを発見できたのではないだろうか。
要するにハッキリ言えば「専門バカ」だったからこそ、彼女はこの任務に成功した。そして成功した後になって初めて自分が何をしたかを思い知ったのではないか?
そうであれば、彼女が最後に流す涙には、そういう自分――イヤな言葉だが文字通りCIAの「社畜と化していた自分――への憐憫とも侮蔑ともつかない複雑な感情が込められていたのではないかと、僕は推測するのだ。