キャビン(2011)

製作国:アメリ
監督:ドリュー・ゴダード
脚本:ジョス・ウェドンドリュー・ゴダード
音楽:デヴィッド・ジュリアン
出演:クリステン・コノリークリス・ヘムズワースリチャード・ジェンキンス 他
初公開年月:2013/03/09
★★★☆☆


非実在青少年の叫び

あれは、まだ渋谷駅の東口に東急文化会館があった頃だから、もう軽く10年以上前のことになる。会館の地下にあった映画館(確か「渋谷東急3」)で、何かのイベントだったと思うが何本かのホラー映画のオールナイト上映が催されたことがあった。
そのプログラムには、あの『悪魔のいけにえ』も含まれていた。当時、この名作を、まだビデオでしか観たことのなかった僕は、劇場で観る絶好のチャンスだと思い、いそいそと出かけていった。
確か2本目に上映されたかと思うが、満席の観客の反応は、ある意味で意外なものだった。
もう場内大爆笑。ドッカンドッカンウケるウケる。スクリーン上でどんなに凄惨な場面が展開しようと爆笑の嵐である。
当時、既に「若い男女がド田舎で虐殺されるホラー映画」をコメディとして楽しむ文化は完全に根付いていた。たとえ『悪魔のいけにえ』のごときマスターピースともいえる作品であっても、そのような観客の色付きの視線を逃れることはできなかったということである。かく言う僕だって大いにゲラゲラ笑って楽しんだ(と思う)。
そんな大昔の取るに足らない私的なエピソードを今さら思い出したのは、もちろん本作を観たせいだ。
一見、めちゃくちゃありがちなホラー映画と見せかけて実は……という「大ネタ」ばかりが話題を呼んでいる本作だが、僕はむしろ、そういう「ありがちなホラー映画」すなわち「若い男女がド田舎で虐殺されるホラー映画」に対する観客としての僕の向き合い方について、改めて考えさせられる作品だと感じたのである。
テキサスの田舎町の異様な一軒家で、湖の畔の寂れたキャンプ場で、あるいは深い森の中の古びた山小屋(キャビン・イン・ザ・ウッズ)で、道徳的には多少問題があるかもしれないが、別に大した悪事も働いていない若い男女が次々に残虐な手段で殺されていくという内容の映画を、僕が平然として「コメディ」として鑑賞できるのは何故か。
それは、それらの作品中の登場人物たちを単なる記号だと捉え直すことによって可能となる。ちょっと前に流行った言葉を使えば「非実在青少年」に過ぎないと認識するということだ。だから彼らが首を切断されようが、内臓をえぐりだされようが、どんなに悲惨な死に様を晒そうが「笑える」。
しかし『キャビン』では、件の「大ネタ」のために、登場人物たちを現実に存在する生身の人間として観客に実感させるべく描いている。そして実は、僕が笑いながら、時には小馬鹿にしながら、これまで観てきた数々のホラー映画の中の人々も、本来は皆、(中には非常に稚拙なものもあったが一応は)現実に生きている人間として描かれていたことを否応なく思い出させるのだ。そして僕はただ、それを無視して自分勝手に楽しんだだけだということを。
もちろん、本当にどうしようもないクオリティの作品は笑ってもいい(笑うしかない)と思うのだけれど、全てのからくりが明らかになった直後に、本作の登場人物の一人・デイナ(クリステン・コノリー)が発した絶望に満ちた叫びを聴いてしまうと、これまで観てきた無数のホラー映画内の犠牲者の皆さんに、ちょっと謝りたい気分になったのだった。まあ、こんなもんは一時的な感傷だと思うけれど。