世界にひとつのプレイブック(2012)

製作国:アメリ
監督:デヴィッド・O・ラッセ
脚本:デヴィッド・O・ラッセ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ブラッドリー・クーパージェニファー・ローレンスロバート・デ・ニーロ 他
初公開年月:2013/02/22
★★☆☆☆


世界にありふれまくっている普通のラブコメ

去る3月1日、映画の日。僕は何を観に行こうか悩んでいた。
『アルゴ』『ジャッジ・ドレッド』『ゼロ・ダーク・サーティ』『ジャンゴ』……観たい作品はたくさんある。
しかし、その日の僕は気分が凹んでいた。まあ一年を365日とすると345日くらいは凹んでいるので、そう珍しいことでもないのだが、ちょっと事情があって、割と凹み具合が激しかった。
そういう精神状態では、上記のような、いわば脂ぎっててコッテコテな感じの作品を観るのはキツイ。ここは二日酔いの朝のお茶漬けのようなサラっとした感じの映画がイイ。そう思ってチョイスしたのがこの作品である。心がホッコリするような、そんな後味を期待しながら……。
さて、本作の主人公・パット(ブラッドリー・クーパー)は、ある日、自分の家のシャワールームで、よりにもよって自分たちの結婚式の時に流した曲をバックにセックスしてやがった妻と同僚を発見し、激怒のあまり同僚をぶん殴り、それがきっかけで躁うつ病になってしまった男。そんな目に遭ったというのに、未だに妻のことを愛しているのだが、裁判所から妻への接近禁止令が出されていて一切接触できない。
一方、事故で警官だった夫を亡くしたティファニージェニファー・ローレンス)は、夫の死によるショックのあまり、精神的に不安定になった結果、会社の同僚全員とセックスしまくるという大変にうらやまけしからん症状を発症したりしてしまい、実の両親にも持て余されている。
そんな二人がひょんなことから出会い、さらにいろいろあって、二人でペアを組んでダンスコンテストに出場することになり……そして、あとは、これを読んでいるあなたの想像した通りの結末を迎える、というわけである。
鑑賞後、僕の気分は複雑だった。確かにホッコリ感はあった。しかし、それ以上に、どうにも腑に落ちない感じが優っていたのである。
その原因は、主役の二人がいわゆる「心の病」でなくても、この話は全く問題なく成立するということにある。例えばパットが、女房の浮気相手を殴って逮捕されて刑務所から出てきた男であり、ティファニーが、旦那が死んだ寂しさを紛らわせるために、行きずりの男とセックスばかりしている女であるという設定であっても、同一の物語ができてしまう。精神に問題を抱えた男女を主役にしているのに、そうではない「普通」のカップルに代替可能な、全くもって型通りのラブコメにしかなっていない、というのはなんか変じゃないか?
もちろん、僕だって、例えば『死の棘』みたいに、浮気した夫を狂気に駆られた妻がネチネチネチネチいたぶりまくるような映画が観たいわけでは決してない。しかし、そういう場面――精神の病が当人はもちろん周囲にももたらす弊害や混乱を描いた場面――が、あるにはあるが、まるで大したことではないかのような扱われ方をしているのが何だかウソくせえなあと思ったわけである。
いや、そりゃ仕方なかったんだろうなとも思う。だってコレあくまでもラブコメだから。あんまりシリアスな描写はできるだけ避けたいという製作者側の気持ちはわかる。でも、心を病むことによって生じる、本人の、あるいはその家族や友人などの、無いはずがない「痛み」を描くことを極力忌避した結果、邦題に反して、全くもってありふれたラブコメになってしまったんじゃ、せっかくのチャレンジングな企画も台無しである。
とにかく予想に反して、あまりにも普通だったので、その腰くだけな感じに本来は★ひとつのところだが、ジェニファー・ローレンスがキュートすぎたので、それに免じて★一つおまけした。