運び屋(2018)

製作国:アメリ
監督:クリント・イーストウッド
原案:サム・ドルニック
脚本:ニック・シェンク
音楽:アルトゥロ・サンドヴァル
出演:クリント・イーストウッドブラッドリー・クーパーローレンス・フィッシュバーンマイケル・ペーニャアンディ・ガルシア 他
★★★★☆

ボケてるのか、呆けてるのか

本作の最初のうちは、正直言って結構ショックでした。というのも僕は、イーストウッド出演作を観るのは『グラン・トリノ』以来であり、あの作品では老いたりといえど、どうにも始末に負えない頑固ジジイという感じで、まだまだその辺のチンピラくらいなら軽く殺っちまうぞという雰囲気が漂う、それまでイーストウッドが演じてきたキャラクターの延長線上の役だったと思うんですが、本作で彼が演じるアールという爺さんは、もはやそんなイメージなどかけらもない、身も蓋もなくヨボヨボした単なるジジイだったからです。
しかも金に目がくらんで、勧められるがままにメキシカンマフィアの麻薬密輸の片棒を担いでしまうという、唖然とするほどアホな爺さんの役なので驚きました。こんな愚かしい人間を演じるイーストウッドを観るのは初めてだったもので。
ところが、そんなアール爺さんが犯罪にどんどん手を染めていくのが描かれるのに、そのことをどこまで自覚しているのかいないのかがいまいち判然とはしない。それどころか下手すりゃ殺されてもおかしくないのに凶暴なマフィアを相手に平然として(いわゆる「天然」的に)ボケをかます。いや、それとももしかすると(病理的な意味で)呆けてるのか?と心配にもなる塩梅です。だってマフィアのボスに気に入られて自宅に招待されたからって本当に行く奴があるかって話ですよ。
そういう具合で、劇中でアールに関わる登場人物ばかりでなく観客でさえも、この爺さんは本当に大丈夫か?と心配になる迷走ぶりなんですが、当の本人だけは終始上の空なんですよ。その上の空の人が「家族を大事にしろ」とか「悪事を辞めて本当に好きなことをしろ」とか正論をときどき思い出したように言い出すので、ますます困惑させられる。いったいこの人はボケてるのか?呆けてるのか?
この、ある意味でスリリングなキャラクターの魅力だけで、この映画は成立していると言っても過言ではないです。銃撃戦もなし、カーアクションもなし、あっと驚くどんでん返しもなし。ただただボケてるのか呆けてるのか、最後まで判然としないイーストウッドの泰然自若とした、もはや演技なのかそうでないのかもわからない「在り様」を堪能する作品だったなあというのが僕の感想です。