ゼロ・グラビティ(2013)

製作国:アメリ
監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン/ホナス・キュアロン
音楽:スティーヴン・プライス
出演:サンドラ・ブロックジョージ・クルーニー 他
初公開年月:2013/12/13
★★★★☆


「もはや『映画』とは呼べない何か」の予兆

僕は、この映画を観て、二度震えました。
一度目は、もちろん本作の内容そのものによって、まさに文字通り震撼させられました。「いや、これ、実はこっそり本当に宇宙に行って撮影してきたんですよ」と言われても、「ああ、やっぱり」と納得してしまうレベル。映画におけるリアリティの追求は、ついにこんな地平にまで到達したのか、とひたすら感心しました。
そして、二度目の動揺は、本作を観終わって「ああ、すげえもん観たわ〜」などとノンキに思い返していた時に訪れました。この作品は単に傑作というだけでなく、「映画」というジャンルが今後進化していく方向性を示唆しているのではないか? と、ふと思ったのです。それは何故か?
観客は、本作で自らも宇宙空間に放り出されたかのような感覚を味わいます。個人的な感覚ですが、それでもあえて言えば、単に「鑑賞」ではなく「体験」のレベルに達していると言っても過言ではない。そして、これは間違いなく従来の「映画」では感じることのできなかった「面白さ」なのです。
そうであれば、今後、「映画」は――少なくとも「エンターテインメント」であろうとするならば――確実に、この方向に進化することを目指していくのではないか、つまり「擬似体験」を観客に与えるという方向へ。
それが、どのようなテクノロジーによって実現されるのかはわかりません。しかし、究極的には、僕たちは「映画を観る」のではなく「映画の中に入り込む」ところまで到達するのではないか、と僕には思えるのです。
もし、そうなれば――例えば、僕たちは、今まさに沈没していこうとするタイタニック号の甲板に、主人公とその恋人と一緒に立つことができるでしょう。あるいは、悪魔祓いが行われている部屋の中で、すぐ隣に立った神父と悪魔にとり憑かれた少女との緊迫したやりとりに耳を傾けることだってできるでしょう。あるいは、ただ一人、高層ビルの中でテロリスト集団と対決することを余儀なくされた刑事と共に走り回ることもできるかもしれない。あるいは、ゾンビであふれかえった世界で、孤立した生存者たちと共に銃を手にして戦うこともできるかもしれない。
もしも、そんな「体験」を可能とする技術が開発され、「もはや『映画』とは呼べない何か」が生まれた時、そこに「物語」が介在する余地があるのでしょうか?
僕は「映画」の「物語」としての側面を主に愛してきました。しかし、「もはや『映画』とは呼べない何か」には「物語」はむしろ不要かもしれない。僕たちがこれまで「映画」と呼んできたものは、骨董品と化してしまうかもしれません。
そんな「もはや『映画』とは呼べない何か」が誕生するプロセスの、決定的な「始まり」を象徴する作品として、後に本作は語られるようになるのではないだろうか、そう考えた時、僕は、何だか不安とも期待とも何とも名付けようもない感情が湧いてきて、震えたのです。