オカルト

最後は「あの世」も撮影します(マジで)

監督:白石晃士
脚本:白石晃士
音楽:中原昌也
出演:白石晃士宇野祥平吉行由実黒沢清 他
ストーリー:ある観光地で発生した通り魔殺人事件。この事件を取材している映画監督・白石晃士(本人)は、事件の生存者であり、現在はネットカフェに寝泊まりしている江野祥平(宇野祥平)と出会う。彼は加害者によって背中に謎の記号を刻まれており、事件の後から身の回りに超常現象が起こり始めたと語る。江野の日常を撮影し始めた白石は次々に奇怪な現象に遭遇していく……。


2月17日夜、僕は阿佐ヶ谷ロフトAというイベントスペースにいた。若き日の白石晃士が制作し、PFFに出品したが、マジなドキュメンタリーと思われて「こんな映像を人に見せてはいけない」と、一次で落選させられたという幻の傑作『暴力人間』(1997/81分/白石晃士・笠井暁大)を観るためである。以下にストーリーを紹介する。

Q大学映画研究部の白石晃士(本人)は、部の厳しい上下関係に疑問を抱いていた。特に新入生歓迎コンパは、新入生にとって地獄である。
ところが、その新歓コンパで事もあろうにOBを殴って即刻退部した笠井(本人)と稲原(本人)という二人の男がいた。白石は二人を取材し、数人の部員たちと共にドキュメンタリーを撮り始める。
しかし、何かとキレやすく、凶暴極まりない二人に白石はさんざん振り回されることになる。裸にされて芸を強要されるくらいは序の口。見学に来た女子部員は二人に乱暴され、白石ともう一人の部員は笠井たちの知り合いの変態男に尻を掘られてしまう。部員たちは次々に逃げ出していくが、白石は一人になっても憑かれたように撮影を続ける。
撮影中止および撮影済みフィルムの破棄を先輩から言い渡された白石は、笠井・稲原の凶暴性が乗り移ったかのように強硬に反発。ついに映研から強制退部を言い渡される。白石は、ついに笠井・稲原と共闘し、OBを脅迫して新歓コンパを廃止させ、さらに学園祭の夜、先輩と対決する……。


とにかく笠井・稲原の極悪コンビがハンパない。よくよく考えてみれば、こんなヤンキー気質丸出しの人種が映研なんかに入ろうと思う訳ないんで、その点でフェイクとわかりそうなものだが、そこに注意が及ばないほど、二人のナチュラルな凶悪さに圧倒されてしまい、PFFの審査員もまんまと騙されたということだったのだろうか。しかし、最後にはなぜか白石・笠井・稲原のメンツで「暴力人間バンド」を結成するという「ネタバレ」的展開になるのになあ。つまり騙されたのではなく、作品の暴力性にひいてしまったというのが正確なところなのではないだろうか……などと考察。

さて、『オカルト』のレビューなのに、なぜ延々と『暴力人間』のストーリーに言及したのかというと、『オカルト』は、言わば『暴力人間』のホラー版だからである。このふたつの作品に共通しているのは、「撮影者が被写体に徐々に影響され、意識を同化させられていく」というテーマだ。若き白石が笠井・稲原という凶暴な男たちを撮影する過程で自我を蹂躙され、やがて行動を共にしていったように、本作での白石もまた、江野祥平という胡散臭い男を撮影するうちに、彼を支配する「邪悪な存在」に魅入られ、ついには彼のとんでもない「自爆テロ」計画に加担していくことになる。
通常、映画の撮影とは一方的に撮影者が被写体をコントロールする行為だと考えられている。撮影者は言うなれば「安全地帯」であるカメラのこちら側から撮影する立場であり、被写体はあくまでも撮影される立場であって、その関係は決して揺らがない、とされる。
しかし、恐らく白石晃士は、映画を撮るという行為において、カメラのこちら側(撮影者側)を安全地帯だとは考えていない。いや、むしろ撮影者と被写体との関係が根底から揺り動かされ、撮影者の意識が変容するような事態が起こること、それこそが「映画」なのだと考えているのではないか。
……というような考察も可能な作品でありつつも、単純に心霊フェイク・ドキュメンタリーとしても最高に楽しめる奇跡の傑作となっている本作。『本当にあった呪いのビデオ』とか好きな人は必見です。