容疑者Xの献身

泣けるからって許しちゃいけない

ある日、貝塚北警察署管内で、顔が潰され、指も焼かれて指紋が消された男性の死体が発見される。貝塚北署の刑事・内海(柴咲コウ)は先輩の草薙刑事(北村一輝)と共に、被害者の別れた妻・花岡靖子(松雪泰子)に聞き込みを行う。しかし彼女には完璧なアリバイがあった。いきなり壁にぶつかった2人は、「ガリレオ」こと湯川学(福山雅治)に相談を持ちかけるのだが……。


連ドラの「劇場版」or「THE MOVIE」に当たりなし、とかつて書いたことがある僕だが、さすがにこの作品は、ベストセラーになった原作小説にほぼ忠実な映画化なので、それなりに面白く観ることができた。
しかし、あくまでも「それなりに」である。他の「劇場版」or「THE MOVIE」があまりにもひどいから、相対的にこの作品が良く見えるということに過ぎない。
そもそも僕はこの映画が好きになれない。犯人が用いたトリックが、あまりにも残酷極まりないものだからだ。
普段『ヒルズ・ハブ・アイズ』だの『片腕マシンガール』だのといった、人がバンバン惨殺される映画ばかり観てるボンクラが何を言い出すのかと思う人もいるだろうが、僕はこの映画こそ真の意味で「残酷映画」と呼ぶに値すると思う。
この手の映画でのネタバレは御法度だと思うので、そのトリック自体には言及しない。問題は、この作品が、犯人がそのようなトリックを使うに至ったのも、ひとえに花岡靖子への「献身」の故だったということで、観客を感動させる方向に誘導し、事実上、犯人の行為を「免罪」してしまっているということである。
はっきり書くが、僕はこんなトリックを思いついて実行できるような人間には全く共感できないし、同情する気にもならない。せめてガリレオ先生がそのようにキッパリと断罪してくれたら、まだ良かったのだが、先生は先生で、犯人と●●●●なので悲嘆に暮れるばかりで、その冷酷非情ぶりについてはスルーである。まことに遺憾だ。
いくらフィクションでも、×××××××だからというだけで、こんな風に利用されていいワケはない。
名もない「彼」に黙祷。