ワイルド・バレット

一丁の銃から始まる地獄のワンナイト遠足

イタリアン・マフィアの組織に所属するジョーイ(ポール・ウォーカー)は、犯罪に使われた銃の後始末を任されていた。ある日、麻薬取引現場を襲撃してきた悪徳警官たちを射殺するのに使用された危険な拳銃の処分を命じられたジョーイ。しかし、自宅の地下室に隠していたその銃を、隣家に住む少年オレグ(キャメロン・ブライト)が持ち出し、自分や母に暴力を振るう義父に向けて発砲し、銃を持ったまま姿を消してしまう。ジョーイは銃とオレグの行方を必死に追い始めるが……。


結論から言うと、かなり地味目だが、なかなか面白いアクション映画である。
……しかし、それが不満なんだよなあ。「なかなか面白いアクション映画」レベルで留まる出来なのが。
確かによく練られた脚本だとは思う。ジョーイとオレグのそれぞれに関係する人物が、それぞれの思惑を持って動き、交錯し、やがて思いがけない(ま、予想の範囲内ではあったが)一つの結末に向けて収束していく様を一晩という限られた時間の中で見せきっている。タイプとしては『パルプ・フィクション』や『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』のような、人間関係のアンサンブルで見せる映画だ。
しかし、この映画は一丁の銃を少年が手にしたところから始まる物語なのだから、その少年の目線で終始語りきった方がふさわしかったのではないだろうか。
例えば、いろいろあってオレグはペドファイルの変態夫婦(!)に拉致される羽目になるのだが、その彼を助けるのはジョーイの奥さんなのである(だから、そのシークエンスはジョーイの奥さん目線で描かれる)。しかも結構かっこよくキメるのだが−−おいおい、それはダンナの仕事だろ! とつっこみたくなる。
ジョーイ、オレグ、ジョーイの奥さんetc.……と様々な人物の視点に切り替わって、ストーリーが語られていくのが、この作品について言えば、むしろマイナスではなかったか。
なぜなら、この作品のキモは、僕が思うに、夜の街に飛び出したオレグが様々な「夜の住人」たち(先述の変態夫婦のような危険な人間たち)に出会い、助けられたり助けたりするという部分ではないかと思うからである。
だから、衝動的に銃を手にした少年が、一晩の間に経験した様々な出来事を経て、「男」に成長していく……そのプロセスを、あくまでも少年の視点から語る物語にすべきではなかったかと思うのだ。
もし、そういう作品だったなら、僕は「非常にユニークで面白い作品」と感じたんじゃないか……と思うのであった。