マンチェスター・バイ・ザ・シー(2016)

製作国:アメリ
監督:ケネス・ロナーガン
脚本:ケネス・ロナーガン
音楽:レスリー・バーバー
出演:ケイシー・アフレックミシェル・ウィリアムズカイル・チャンドラールーカス・ヘッジズ 他
★★★★★


悲しみとの向き合い方に正解はあるか

周回遅れもいいところの話題ですが、奥さんを亡くしたばかりの俳優の人が子供などを連れてディズニーランドに行った「らしい」だの、それを不謹慎だと叩く人がいた「らしい」だの、そもそもディズニーランドに行ったということ自体がデマ「らしい」だのというような記事をネットで見かけました。
僕は、彼について格別の興味を抱いたことはないですが、こういうようないい加減な情報をばらまかれてしまうことについては本当に気の毒に思います。奥さんを病気で亡くして、ただでさえ参っているだろうに、さらに彼らの事情など知る由もない見知らぬ他人にあれこれ取り沙汰されるのは、さぞかし気が滅入ることだろうと思う。
そもそも、もしも仮に、彼が子供たちを連れて実際にディズニーランドを訪れていたとしても、そのことに何の問題があるんですかね。配偶者を亡くした人はすべて、しばらく家でおとなしくしていなくちゃならないんですか?
夫や妻に限らず、家族や恋人・友人などを亡くした人の中には、例えばキャバクラで酒を浴びるほど飲み続ける人もいるかもしれない。突然あてもなく旅に出てしまう人もいるかもしれない。風俗店に通い詰める人もいるかもしれないし、狂ったようにパチンコ屋や競馬場に通う人だっているかもしれない。ゲームにはまってしまう人もいるかもしれないし、家に引きこもって会社に行かなくなったり、ベッドから起き上がれなくなったりする人もいるかもしれない。亡くなった人の持ち物をすべて処分してしまう人もいるかもしれないし、逆に故人が生きていたころのまま、すべてを保存し続けようとする人もいるかもしれない。もしかしたら人の数だけ反応の仕方はあるかもしれません。
僕には、それらのどれが良くてどれが悪いとか判断できません。悲しみとの向き合い方に正解はないと思うからです。
この映画の主人公・リー(ケイシー・アフレック)もまた、過去に背負った悲しみを心に秘めています。そのために故郷である「マンチェスター・バイ・ザ・シー」という町を捨てて生きてこなければならなかったほどの深い悲しみです。しかし実の兄が亡くなったために、彼は帰郷せざるを得なくなり、さらに兄の息子でリーにとっては甥にあたる16歳の少年パトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に兄の遺言書で指名されていることを弁護士から告げられて、大いに困惑することになります。それはパトリックと一緒に暮らさなければならないことを意味しているからです。ボストンのアパートで便利屋をして生活しているリーはパトリックとボストンで暮らそうと提案しますが、パトリックは今まで生まれ育ったこの町を離れたくないと頑なに拒絶します(まあ、それだけではなく二股をかけている二人の彼女が住んでいるのも大きな理由なんですね(笑)。重いドラマの中にこういうユーモラスな要素が絶妙に含まれているのもこの作品の魅力です)。
一般的なアメリカ映画のセオリーだと、大人のリーが折れて、マンチェスター・バイ・ザ・シーに戻り、徐々に過去を清算して、甥っ子と二人で新しい生活を築いて人生を立て直していく……というドラマが、この後は展開しそうです。しかし、ここでは詳細は省きますが、そうはなりません。
果たしてどうなるのか? それを是非観てほしい。人によっては大いに驚くと思う。僕も意表を突かれましたが、しかしリーの選択もまた、悲しみとの向き合い方のひとつである訳です。しかも、それを叫ぶでもなく、自嘲しながらでもなく、ただ心の底から言葉を絞りだすように訥々と語るケイシー・アフレックにグッと心をつかまれまして、恥ずかしながら泣いてしまいました。だから言うんじゃないんですが、必見の傑作。