恐怖の報酬【オリジナル完全版】(1977)

製作国:アメリ
監督:ウィリアム・フリードキン
原作:ジョルジュ・アルノー
脚本:ウォロン・グリーン
音楽:タンジェリン・ドリーム
出演:ロイ・シャイダー/ブルーノ・クレメル/フランシスコ・ラバル/アミドウ 他
★★★★★


「悪魔の視点」から見た群像劇

あるレベルを超えた映画は「鑑賞する」というより「体験する」という感覚をもたらすものだと個人的には思っているんですが、この作品がまさにそれ。僕の知る限りVR技術なんて影も形もない時代に作られた作品にもかかわらず、まるで劇中に投げ込まれたような感覚を覚えさせられたわけで、もう完敗ですわ。本当に参りました。
それと同時に思ったのが、よく「神の視点」と例えられるカメラが、本作の場合「悪魔の視点」といった方がしっくり来るなと思うほど「非情」だなあということ。それぞれに罪を犯して故国を捨てた、ロイ・シャイダーをはじめとする四人の男が行き着いた地の果ての地獄。そこで起こるすべてのドラマを、まるで悪魔のような冷酷な視線でフリードキンは見つめ続けている。
でも、そんな悪魔のごとき視線を以てしなければ浮かび上がらないものもあるのであって、その象徴が、あの終盤のロイ・シャイダーの顔だと思うんです。人間が耐えうるギリギリのラインまで追い詰められた後でなければ浮かべようもないあの表情。あれこそがフリードキンが見せたいものなんですよ。
思い返してみれば『フレンチ・コネクション』 (1971)も『エクソシスト』(1973)も『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985)、『ハンテッド』(2003)、『BUG/バグ』(2006)もそうだった。想像を絶するプレッシャーを与えられた人間がどう弾けるか。その一点にフリードキンはこだわり続けているんじゃないか、そんなことを考えました。

マンディ 地獄のロード・ウォリアー(2017)

製作国:ベルギー
監督:パノス・コスマトス
原案:パノス・コスマトス
脚本:パノス・コスマトス
音楽:ヨハン・ヨハンソン
出演:ニコラス・ケイジアンドレア・ライズブロー/ライナス・ローチ/ビル・デューク 他
★★★★☆


舐めてた相手がニコケイだったパターン

※ストーリーに触れていますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

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遊星からの物体X<デジタル・リマスター版>(1982)

製作国:アメリ
監督:ジョン・カーペンター
原作:ジョン・W・キャンベル・Jr
脚本:ビル・ランカスター
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:カート・ラッセル/A・ウィルフォード・ブリムリー/リチャード・ダイサート/キース・デヴィッド 他
★★★★☆


邦題って実はかなり重要なんじゃないか説

前回は『ゼイリブ』、そして今回はコレというわけで、いったい今は西暦何年なんだという感じですが、実は今まで映画館で観たことがなかったので、一度は観ておきたいという思いに駆られて観に行ってしまったんだから仕方がない。あの「スパイダー・ヘッド」が丸の内ピカデリーのでかいスクリーンに映し出された時には、ちょっと感動しましたね。これまで何度もテレビやVHSやDVDで観てきましたが、やっぱり映画館で観る「物体X」の雄姿には格別なものがありました。
しかし、この作品、ごく控えめに言ってもSF映画史に残るレベルの傑作だと思うんですが、公開当時の興行成績が芳しくなかったのは有名な話です。まあ、登場人物は全員むさくるしいおっさんだし、見せ場といえば「物体X」が気持ち悪すぎる変態を遂げるシーンしかなく、あとはお互いに「こいつ、ホントは物体Xなんじゃねえの?」と疑心暗鬼に陥りつつ、ひたすら右往左往するだけという風にまとめてしまえば、確かにわかりやすいセールスポイントには欠ける映画だということは認めざるを得ない。
で、ここからはあくまで僕の個人的な考えなんですが、日本においては上記の理由に加えて、邦題の影響というのも客が入らなかった要因としてはあるんじゃないかという気がするんですよ。
ご存知の方も多いでしょうが、この映画は『遊星よりの物体X』(1951)のリメイクな訳ですけど、見比べればおわかりのように「より」を「から」に変えています。それは何故かといえば「より」という言葉がちょっと古いなという判断が為されたからだと思うんですね。でも問題とすべきだったのは「より」以上に「遊星」の方だったのではないでしょうか。
「遊星」とは天文学的にはどういうものなのか、僕は全く調べもせずにこのテキストを書いているんですけど、それは問題があくまでも「字面」と「読み仮名の響き」にあるからです。「遊星」という字面のもたらすノンキな印象と「ゆーせー」という読み仮名の響きから来る弛緩した感触。これが人々の無意識に作用して「どうもこの映画、いまいちそそられねえなー」ということになったのではないか。例えば「宇宙からの物体X」あるいは「惑星からの物体X」とか「異星からの物体X」だったなら、また反応は違ったんじゃないかと思ってしまうんですよね。
それはともかく「ノンキ」とか「弛緩」とかとは真逆のベクトルを持つソリッドな映画であることは確かなので、もし本当に邦題で引っかかってしまって、未だ観ていないという人がいたならば、是非思い切って観てほしいところです。

ゼイリブ≪製作30周年記念HDリマスター版≫(1988)

製作国:アメリ
監督:ジョン・カーペンター
脚本:フランク・アーミテイジ(ジョン・カーペンター
音楽:ジョン・カーペンターアラン・ハワース
出演:ロディ・パイパー/メグ・フォスター/キース・デヴィッド/ピーター・ジェイソン 他
★★★☆☆


今すぐ来てくれゼイリブ星人

30年前に観た時は、ただ単に「変な映画」としか思えなかった、この作品。今回30年ぶりの再鑑賞に臨んだところ、『ゼイリブ』といえば皆が思い浮かべるであろう、例のサングラスをかけるかけないをめぐって主人公(ロディ・パイパー)と黒人のおっさん(キース・デヴィッド)が路地裏で延々プロレスするシーンと、サングラスをかけた主人公がビルボードや雑誌に隠されたサブリミナルメッセージを発見するシーン以外は全部忘れていることが、始まってすぐに判明したので、まるで初見のように新鮮に観ることができました。
ところで、とかく映画に登場するエイリアン達は超巨大UFOだの三本脚で歩くロボット兵器だのを使った派手な侵略作戦を展開しがちですが、本作に登場するエイリアン(便宜上「ゼイリブ星人」とここでは呼びます)はそんな野蛮なことはしません。その代わりに彼らは地球人を買収する。「年収アップしてあげて、良い生活させてあげるから協力しろ」というわけです。
恐らくカーペンターとしては、みんなが金に目の色を変えざるを得ない「資本主義社会」に対する風刺のつもりだったんでしょうが、30年後の現在、少なくとも日本ではコレがものすごく有効な作戦だと受け取られる状況になってしまった、と僕としては思います。自民党をいくら応援しても金持ちにはまずなれないけど、ゼイリブ星人に協力すれば絶対年収が上がる!となればですね、「悪いけど俺、地球売りますわ」っていう人が続出すると思う。かく言う僕だって裏切る気満々ですよ。若手女優を恋人にして、ポケットマネーで月旅行に行けるような成功者になるためならゼイリブ星人に一生ついていく所存です。ああ、本当に来てくれないかなー、ゼイリブ星人。

MEG ザ・モンスター(2018)

製作国:アメリ
監督:ジョン・タートルトーブ
脚本:ディーン・ジョーガリス/ジョン・ホーバー/エリック・ホーバー
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:ジェイソン・ステイサムリー・ビンビンレイン・ウィルソンルビー・ローズ 他
★★★☆☆


これは良い「午後ロー」即戦力

その日も僕はいろいろあって気分が鬱々としておりまして、ここは一発、景気よく人がめちゃめちゃサメに喰われて死ぬ映画でも観て憂さ晴らしをしようと思い立ち、この作品を観に行ったわけです。
結論から言うと、期待していたほど人は大量には死にませんでしたが、まあまあ退屈せずに観られました。
というのも、この作品、とにかく「ちょうど良い」感じなんですよ。いわゆる「サメ映画」定番のストーリーに、決して意外過ぎないツイストを加え、死ぬべき人間はちゃんと死ぬ。でも残酷さは控えめだし、適度に笑えるシーンも散りばめられている。うーん、ちょうど良い。
ただ、テロリストや犯罪者を相手にするのと全く同様に「とにかく殺せば全て解決だろ!」という姿勢でメガロドンに挑む主演のステイサムだけが、どうにもやりすぎ感が否めないし、特にクライマックスにおいては、まさかの『バキ外伝 疵面―スカーフェイス―』での花山薫が巨大ザメ相手に素手ゴロを挑んだ場面を彷彿させるというかマンマの感じになっていて「いくらサメ映画だからってデタラメすぎるだろ!」とさえ思わされたんですが、よく考えたらステイサムはこういうのが平常運転なんで、結局それも込みで全てが「何かちょうど良いな〜」というところに落ち着いた次第です。
そんなわけで、この映画、会社を休んだ平日の昼下がりに缶ビールでも飲みながらぼんやり見るのにピッタリな番組としての評価が定着した感のある「午後のロードショー」で放映されるのには、まさにうってつけというか、むしろ即戦力とさえ言えると思います。ところどころにある、テンポを悪くしてるシーンをバッサリ切れば、「午後ロー」の実質放映時間である1時間30分くらいに収めるのも全然難しくないだろうし、テレ東の担当者の方には是非検討してほしいところです。

恋のクレイジーロード(2018)

製作国:日本
監督:白石晃士
脚本:白石晃士
編集:白石晃士
効果:白石晃士
出演:田中俊介宇野祥平/芦那すみれ/久保山智夏 他
★★☆☆☆


狂気の「おっさんずラブ

本作の上映時間が18分しかないからなのか、いざ渋谷アップリンクに観に行ってみたら、実は3本立てだったので、ちょっと得した気分になったんですが、1本目の『超エドガーケイシー』という短編でそんな気分は雲散霧消しました。何故よりによってこんなものを3本立ての一本に選んでしまったのか。白石監督、どうした? と心配になりましたよ。全然知らない奴らのホームパーティーで演じられた全く笑えない茶番の一部始終を映した動画みたいな作品で、何とも居たたまれない気持ちになりました。
その次に上映されたのが本作。ざっくり書くと、女装した宇野祥平が、どこかの田舎の一本道を走るバスの車内で、乗客を無差別殺戮しつつ、ワケありな感じのカップル(田中俊介&芦那すみれ)と強引に三角関係になるという作品。白石監督がいつか撮りたい念願の長編作品のためのパイロットフィルムという風情で、面白くなくはないんですが、何しろ18分ですから、上映直後には、とにかく尺が短くて物足りなかったなあという感想しかありませんでした。
ところが、三番目に上映された『メイキング・オブ・クレイジーロード』で、そもそもどうして本作が生まれたかという経緯が説明されるんですが、要するに白石監督が田中俊介に一目惚れして熱烈なラブコールをしたからなんですね。つまり一本丸ごと田中俊介への愛の結晶みたいなものだったのであって、それを踏まえると、これは実はアレだわ、「おっさんずラブ」だわ、と。まあ、そのドラマは見たことないんですが、そう捉え直しました。
だから本作での宇野祥平は、実は田中俊介に恋している白石監督が自分を投影しているキャラクターなのである、とすると失礼ながらキモさマックスですが、そう考えれば、設定こそいつものように異常極まりない白石晃士的狂人ワールドでありながら、内容は直球のラブストーリーだったことにもうなずけるというものです。もし望めるならアップグレードした長編版で観てみたいですね。もちろんその時は『メイキング・オブ・クレイジーロード』はともかく『超エドガーケイシー』の併映はナシでお願いします。

カメラを止めるな!(2018)

製作国:日本
監督:上田慎一郎
脚本:上田慎一郎
音楽:永井カイル
出演:濱津隆之真魚しゅはまはるみ/長屋和彰/秋山ゆずき 他
★★★★★


それはともかく『スピード』の話をしよう

せっかく見に来ていただいたあなたにこんなことを言うのは全くもって恐縮なんですが、もしもあなたがまだ本作を観ていないのならば、あなたが今すべきなのは、こんなろくでもないクソブログを読むことではなく、ここで最寄りの上映館をチェックし、できることなら席を予約して、一刻も早く本作を観に行く手はずを整えることです。その後は本作に関する情報をできるだけ遮断してください。できれば客席に着くまで、この作品については日本映画だということ以外は何も知らないくらいの状態を保つことができたらベスト。あとは黙ってスクリーン上に生起する出来事に目を凝らし続けていれば自動的に「面白さしかない」という至福のひと時が過ごせること間違いなしと言わせていただきます。以上です。


と、これだけで終わらせるのも素っ気なさすぎるかと思うので、代わりに『スピード』の話を書きたいと思います。
「えー? 『スピード』って何ー?」とか鼻水たらしながらほざくキッズの方も今やいるかと思いますが、いちいち説明するのも面倒くさいので詳しいことは各自調べていただくとして、ざっくり言うとキアヌ・リーブス主演のアクション映画です。でも人によっては桜庭和志の入場曲の流用元と言った方が通じるかもしれない。まあ正確に言うとあれはパート2で使われてるんですけど。いや、そんなこともどうでもいい。でも、あの曲のPVは面白すぎるので、せっかくなんで貼っておきます。



それで『スピード』本編の話に戻りますけど、いろいろあってキアヌ・リーブスが頭のいかれた爆弾魔であるところのデニス・ホッパーに逆恨みされた挙げ句、爆弾が仕掛けられたバスに乗り込むことになるんですが、その爆弾というのが、バスの速度が80km/h以下になると爆発するという厄介極まりない代物。しかもちょうど通勤ラッシュの時間帯だったりするもんで、大事故一歩手前の交通トラブルをガンガン引き起こしつつ、とにかくバスを走らせ続けなければならなくなるという展開になります。
そんな中、運転手の代わりにバスを運転させられる羽目になるサンドラ・ブロックをはじめとする、たまたまそのバスに乗り合わせた乗客たちは、はじめはキアヌに半ば強制されてしぶしぶ協力するんですけど、度重なる危機を乗り越えていくうちに徐々にチームワークみたいなものが生まれてくる。「俺たちが力を合わせれば、このバスは停まらないぜ!」みたいな連帯感が醸成されてくるんですね。はっきり言ってそんなに大した作品というわけでもないけど、僕がこの映画を好きなのはこの部分があるからです。
で、この『スピード』における「バス」を「映画」に置き換えると『カメラを止めるな!』になるんですよ、と。だから僕は本作も好きなんですよ、と。まあ、それだけは言いたかったわけです。以上です。