万引き家族(2018)

製作国:日本
監督:是枝裕和
脚本:是枝裕和
音楽:細野晴臣
出演:リリー・フランキー安藤サクラ松岡茉優樹木希林 他
★★★★☆


わかった、これはフィルム・ノワールなのだ

いや、いきなり何を寝ぼけたことを言い出してんだとお思いでしょうが、ちゃんと根拠はあるんですよ!


●犯罪者が主人公である
リリー・フランキー日雇い派遣、その妻の安藤サクラはクリーニング工場のパートと、一応仕事はしているものの、それだけではとても食べていけなくて、足りないところを万引きで補っているから「万引き家族」なわけで、まあ、これだけならフィルム・ノワールなどと呼ぶにはかなり物足りない感じですが、実はこの二人には壮絶な過去がありまして、それを踏まえて「あ、こりゃフィルム・ノワールだわ」と思った次第。


●悪女が登場する
上記のように安藤サクラもなかなかの食えない女っぷりを見せつけるんですが、やっぱり樹木希林がその遥か上を行く異次元の存在感を醸し出していて圧倒的。息子のリリー・フランキーに年金を搾り取られている哀れなおばあちゃんなのかと思いきや、自分を捨てた元旦那と再婚した女との間にできた息子(緒形直人)の家へ、元旦那の命日に訪ねて行っては小金をせびるという、ものすごく婉曲なゆすりみたいなことを平然とやってのけるふてぶてしさを持ち合わせた凄いババアで、まさに「ザ・悪女」というしかない。


●「運命の女(ファム・ファタール)」も登場する
これはもちろん、この映画の冒頭でリリー・フランキーが家に連れ帰ってしまう、虐待されていた5歳の女の子のことです。彼女を家族の一員にしたことによって、彼らの運命は少しずつ変わり始めるんですから、「ファム・ファタール」以外の何者でもない。


●悲劇的な結末を迎える
上記の女の子を家族に迎え、束の間の穏やかな日々を彼らは過ごすんですが、ある事件がきっかけで急転直下、家族離散という事態に追い込まれます。しかし一面では確かに悲劇なんですが、実はある意味ではハッピーエンドでもあるんですね。


●ミステリーとしての側面がある
ここまで、どうにも奥歯に物が挟まったようなことばかり書いてきたのは、表立っては宣伝していないようですが、実はこの作品はミステリーでもあるからです。で、凄いのは「万引き家族」というタイトルからしてミスリーディングであるということ。また、是枝監督のこれまでのフィルモグラフィーから観客が抱くであろう、ある種の先入観が、やはりミスリーディングの仕掛けとして機能するようにもなっており、つまり二重の罠が観る前の段階から張られているという、なかなかに斬新な映画なんですね。


まあ、本当にフィルム・ノワールといえるかどうかはともかくとして、結論としては、きっとあなたが想像しているような作品ではないので、観もしないで「犯罪擁護してんじゃないの?」などと邪推するより、さっさと観に行って確認した方がいいよ、ということで。

枝葉のこと(2017)

製作国:日本
監督:二ノ宮隆太郎
脚本:二ノ宮隆太郎
出演:二ノ宮隆太郎松本大樹/堀内暁子/いまおかしんじ 他
★★★★☆


彷徨する不発弾

この映画の主人公・隆太郎(二ノ宮隆太郎)は何を考えているのか、少なくとも最初のうちは全然わかりません。徹底して無表情で、言葉も滅多に発しないからです。
しかし、その死んだ魚のような目つき、潔癖症的な手の洗い方、忙しないタバコの喫い方、無茶な酒の飲み方、そして印象的な速足での歩き方など、カメラが捉える彼の日常的な仕種の端々から、何故だかわからないが、彼が異様に苛立っていることだけは伝わってくる。
彼に関する説明的なセリフは一切ないんですが、物語の進行につれて彼の過去と現在が徐々にわかってくる。実家から徒歩圏内の場所で一人暮らしをしていること。その部屋の近くにある自動車の修理工場に勤めていて、先輩や後輩と仕事帰りに飲み歩く日々を送っていること。そして、やはり近所に、子供の頃に一時期預けられていて世話になり、いまや死を目前にしている「おばさん」が住んでいること。
この「おばさん」の傍らにいる時だけは、この男の苛立ちも影を潜め、彼女には愛情を込めた眼差しさえ向けるんですが、それ以外の場面では表面に表すことなく周囲への、そして恐らく地元から出て行けない自分への鬱屈した気持ちをひたすら募らせている。言わば、いつ爆発するかわからない不発弾が服を着て歩いているような男なのであり、そんな男がこのまま何もしないとは到底思えないわけで、自分の部屋と仕事場と飲み屋と「おばさん」の家と実家をぐるぐる歩き回るだけと言ってもいい彼の日常を追っているだけなのに、どんどんサスペンスフルになっていくんですよ。正直、こんな映画、初めて観たかもしれない。
次の瞬間、この男は酒癖の悪い先輩や、ウザいだけの後輩や、密かに付き合っている(あるいはセフレの?)飲み屋の女の子を、あるいはまったく関係のない人間でさえも殺してしまうのではないか? そんな暴力の気配だけがひたすら高まっていく。そして、ある人物の前で、それまでの無表情をかなぐり捨て、怒りをむき出しにした瞬間、この映画は終わります。
ついに不発弾が爆発してしまったあと、どうなるのか? たぶんですが彼は地元から外の世界への一歩を踏み出すんだろうな、と。ラストシーンからは全くそんな匂いはしないにも関わらず何故かそう思いました。

孤狼の血(2017)

製作国:日本
監督:白石和彌
原作:柚月裕子
脚本:池上純哉
音楽:安川午朗
出演:役所広司松坂桃李真木よう子江口洋介石橋蓮司 他
★★★★☆


狼と豚と番犬

観ている間は退屈しなかったし、観終わって「ああ、面白かったな」と素直に思えた作品ではあるんだけれど、どうも気になったことがあるんですよ。
それは、この映画の中で重要なことは、ほぼ養豚場で起きるということです。冒頭のヤクザ達によるリンチも、役所広司が演じる悪徳刑事・大上(おおがみ)が、コンビを組んでいる日岡松坂桃李)に対して「正義」についての自分の考えを述べるのも、そして日岡が大上の意思を「継承」することを意味する最重要なシーンも全て同じ養豚場が舞台となっている。
それは、この物語のキーになる事件の現場だからなのでは?というもっともな捉え方もあるでしょうが、ここはあえて深読みをしてみたい。
養豚場には当然のごとく豚たちがいるわけですが、この「豚」が何かを象徴しているのではないかと考えてみると、戦うための牙も爪も持たない彼らは、ヤクザという「狼」に狙われたら一巻の終わりとなるような、無力な一般市民なのではなかろうかと思うんですね。そして、彼らを守るための「番犬」として警察が存在しているという、この作品中の世界の構図が、この養豚場で示されているのではないか。だからこそ、ここが重要な場面の舞台として設定されているのではないか。
そうであるとして、警察が番犬であるならば、狼を豚たちから遠ざけることに専念すれば、本来はそれで良いはずです。しかし狼と豚が共存することが最もリスクなく社会の治安を守る方法だと考える大上は、番犬でありながら狼と深く関わる道を選択したわけです。そのために狼にはもちろん、仲間である番犬たちからも忌み嫌われ、果ては命まで狙われてしまう。
それでも自分の信じる「正義」のためになりふり構わず行動する姿に、日岡も観客である我々もどんどん魅せられていくんですね。暴力シーンばかり取り上げられがちな本作ですが、実は一番の見どころはここだと思う。テイストは全く違うんですが『ダーティハリー』を思い出しました。
ところで原作は未読なんですが、上記の養豚場の件はただ単に原作どおりにしただけ、ということなら、もはや単なる妄言でしかないので、どうか読まなかったことにしてくださいとお願いしておきます。

レディ・プレイヤー1(2018)

製作国:アメリ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:アーネスト・クライン『ゲームウォーズ』
脚本:ザック・ペン
音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:タイ・シェリダン/オリヴィア・クック/ベン・メンデルソーンサイモン・ペッグ 他
★★☆☆☆


オタクも子供もナメている

原作小説は未読ですが、wikipediaの概略を読む限り、かなりハードコアなオタク向け小説のようです。しかし本作は、まるで『E.T.』を連想させるような、子供たちが協力して「悪い大人」――それもかなりデフォルメされた、リアリティの薄い感じの――と、VRゲーム空間「オアシス」を守るために戦うという、如何ともしがたくジュブナイルな感じに仕上がっています。
身も蓋もないことを言えば、オタクも子供も客として取り込みたいからこうしましたということなのでは?と思うんですけど、もしもそうであれば、その両者をナメているとしか思えないほど本作にはちょっと難ありな部分が多いと感じました。劇中の「オアシス」パートでの謎解きはなかなか小技が効いていて感心させられたんですが、「現実」のパートについては、いくらなんでもちょっとひどくないか?というレベルの雑さ。「オアシス」の所有権と莫大な財産がかかっているからとはいえ、そのために平然と殺人を犯す大企業の社長ってのもひどいし、殺人が起きても警察に通報さえしない主人公もひどい。そもそも主人公が何をして暮らしているのかもわからないし、主人公が恋する少女サマンサ(オリヴィア・クック)が属しているコミュニティも何を目的としているのかさっぱりわからない。相当に雑です。
制作側としては「オアシス」に登場するガンダムやらアイアン・ジャイアントやらでオタクだろうが子供だろうが満足するだろうとたかをくくっていたのかもしれませんが、そうだとしたら、やはりあまりにナメてると言うしかない。「オアシス」パートと「現実」パートが組み合わさって『レディ・プレイヤー1』という作品になっているわけですから、こう片手落ちな感じだと観客の、作品への没入が阻害されると思う。というか、僕はまさに阻害されたクチなわけですが。
最後に一点。『シャイニング』の、個人的には最も怖ろしいシーンだと思っているあるシーンのほとんど全部をギャグに使っているのはどうなんだろうか。あの作品をすでに観ている人なら問題はないですが、本作を観て興味を持ち、初めて『シャイニング』を観た人は、問題のシーンを観ても、もう恐怖を感じることなどできないんじゃないかと思う。僕はいわゆる「ネタバレ」には寛容なタイプですが、これはちょっとどうかと思いました。

霊的ボリシェヴィキ(2017)

製作国:日本
監督:高橋洋
脚本:高橋洋
音楽:長嶌寛幸
出演:韓英恵長宗我部陽子/巴山祐樹/高木公佑/近藤笑菜 他
★★★★★


「魔」が射す映画

死刑囚の凄惨な最期・災害による死者の夢・裸足の女幽霊・山の稜線を這うもの・「妖精写真」・神隠し・謎の手紙・生きた人形・火刑にされた女・チェンジリング・逮捕されなかった殺人者・何度捨てても帰ってくる数珠・異界への生贄・「光の子」…。
禍々しくも、相互に関連のない、断片的なイメージを集積していくことで、見えない/理解しえない/名付けえないものを現世に呼び込み、「因果」ではなく「共鳴」によって語りえない恐怖を語ろうとする大いなる試みとしての映画。
数人の男女が、録音機器だらけの妙な施設で、自らの「死」にまつわる体験談を話す「だけ」と言ってもいいシンプルな構成ながら、まさに「霊的」としか言いようがない雰囲気がどんどん高まっていくのが文字通り体感できる。ちなみに出演者は全員(いい意味で)怖い顔の俳優ばかりで、間違いなくこの映画に必要不可欠と思われる陰鬱な空気感を醸成するのに貢献しています。また「脚が不自由な女」や「何を目的にしているのかわからないセミナー的集団」など高橋洋が過去の作品からこだわっている要素もバッチリでファンなら思わずニヤリとしてしまうこと請け合いです。
「百物語」のように、それぞれのエピソードが語られるうちに偶然が偶然でなくなり、終盤、一気にシンクロして、「魔」が訪れる瞬間がついにやって来たと思いきや、急転直下訪れるカタストロフ。しかし、これは終わりの始まりにすぎない…という絶望的なエンディング。まさに完璧。「恐怖映画」が好きだと自認する方ならば必見と申し上げます。

スリー・ビルボード(2017)

製作国:イギリス/アメリ
監督:マーティン・マクドナー
脚本:マーティン・マクドナー
音楽:カーター・バーウェル
出演:フランシス・マクドーマンドウディ・ハレルソンサム・ロックウェルルーカス・ヘッジズ 他
★★★★★


人間発見エンターテインメント

舞台はミズーリ州のエビングという小さな町。7ヶ月前に娘がレイプされ、殺されてしまったミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、町はずれにある三枚のビルボード(野外広告)を借りて「娘はレイプされて焼き殺された」「未だに犯人が捕まらない」「どうして、ウィロビー署長?」という強烈な警察批判のメッセージを掲示します。
ウディ・ハレルソン演じるウィロビーが、警察署員だけでなく町の住人たちからも尊敬されている人格者であることから、ミルドレッドは町の牧師や離婚した夫、息子のロビー(ルーカス・ヘッジズ)からさえも批判され、広告を取り下げるように忠告されますが、彼女は断固として拒否する。ここで、この監督凄いなと思ったのは、ミルドレッドがあまりにも頑なすぎてイヤなババアにさえ見えるということです。この(変な表現ですが)「容赦なく公平な視線」はウィロビーにも、また彼を敬愛するレイシストの警官ディクソン(サム・ロックウェル)にも向けられます。
それによってウィロビーの、警察署長としての威厳に満ちた態度の裏側に隠された脆さや、典型的な暴力警官に見えるディクソンの意外な側面が徐々に明らかになっていく。その過程で観客である僕に何が起こったかというと、始めはミルドレッドに同情的だったんですが、それがウィロビーに移行し、さらにはディクソンにさえ、そんな気持ちを抱くようになっていったわけです。つまり観ているうちに誰に肩入れし、誰を憎むべきか、どんどんわからなくなっていく。それに戸惑うと共にすごく面白いなと思った。人間の、表面的にはわからない部分がどんどん発見されていくということがエンターテインメント足り得るんだということを、この映画で知った気がします。

ザ・ヴォイド(2016)

製作国:カナダ
監督:ジェレミー・ギレスピー/スティーヴン・コスタンスキ
脚本:ジェレミー・ギレスピー/スティーヴン・コスタンスキ
音楽:ブリッツ//ベルリン
出演:アーロン・プール/ダニエル・ファザーズ/エレン・ウォン/キャスリーン・マンロー 他
★☆☆☆☆


要塞病院・異次元からの物体X

この映画、無理やり邦題をでっちあげるなら、上記のタイトルみたいになると思う。ご覧になった方にならわかってもらえると思うんですが、少なくとも大筋ではこんな感じなんですよ。
まあ、やりたかったこともわかるんです。カルト教団版の『要塞警察』をやりたかった。それと並行して『遊星からの物体X』もやりたかった。『マニトウ』や『エクストロ』みたいな妊婦ホラーもやりたかったし、グチャグチャドロドロのクリーチャーも出したかったし、最終的には『マウス・オブ・マッドネス』のような、クトゥルー神話みたいな宇宙的恐怖譚にしたかった。確かに一応全部やっています。
映画の終盤、巨大なピラミッドのような影がいずことも知れない異世界の空に出現するシーンには何とも言えない神秘的なムードが漂うし、三角形のマークを顔の部分にプリントしたオシャレなKKKみたいなカルト教団もなかなかカッコイイ。しかし良いところはそれくらいなんですね。
全体としては何だかしょんぼりした出来だったと言うしかない。完全に志に技術と予算がついていっていないパターン。脚本の段階でネタの交通整理をするべきだったのにしなかったのが痛い。こういう失敗作を観ると、いかにジョン・カーペンターが偉い人かということがよくわかります。