遊星からの物体X<デジタル・リマスター版>(1982)

製作国:アメリ
監督:ジョン・カーペンター
原作:ジョン・W・キャンベル・Jr
脚本:ビル・ランカスター
音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:カート・ラッセル/A・ウィルフォード・ブリムリー/リチャード・ダイサート/キース・デヴィッド 他
★★★★☆


邦題って実はかなり重要なんじゃないか説

前回は『ゼイリブ』、そして今回はコレというわけで、いったい今は西暦何年なんだという感じですが、実は今まで映画館で観たことがなかったので、一度は観ておきたいという思いに駆られて観に行ってしまったんだから仕方がない。あの「スパイダー・ヘッド」が丸の内ピカデリーのでかいスクリーンに映し出された時には、ちょっと感動しましたね。これまで何度もテレビやVHSやDVDで観てきましたが、やっぱり映画館で観る「物体X」の雄姿には格別なものがありました。
しかし、この作品、ごく控えめに言ってもSF映画史に残るレベルの傑作だと思うんですが、公開当時の興行成績が芳しくなかったのは有名な話です。まあ、登場人物は全員むさくるしいおっさんだし、見せ場といえば「物体X」が気持ち悪すぎる変態を遂げるシーンしかなく、あとはお互いに「こいつ、ホントは物体Xなんじゃねえの?」と疑心暗鬼に陥りつつ、ひたすら右往左往するだけという風にまとめてしまえば、確かにわかりやすいセールスポイントには欠ける映画だということは認めざるを得ない。
で、ここからはあくまで僕の個人的な考えなんですが、日本においては上記の理由に加えて、邦題の影響というのも客が入らなかった要因としてはあるんじゃないかという気がするんですよ。
ご存知の方も多いでしょうが、この映画は『遊星よりの物体X』(1951)のリメイクな訳ですけど、見比べればおわかりのように「より」を「から」に変えています。それは何故かといえば「より」という言葉がちょっと古いなという判断が為されたからだと思うんですね。でも問題とすべきだったのは「より」以上に「遊星」の方だったのではないでしょうか。
「遊星」とは天文学的にはどういうものなのか、僕は全く調べもせずにこのテキストを書いているんですけど、それは問題があくまでも「字面」と「読み仮名の響き」にあるからです。「遊星」という字面のもたらすノンキな印象と「ゆーせー」という読み仮名の響きから来る弛緩した感触。これが人々の無意識に作用して「どうもこの映画、いまいちそそられねえなー」ということになったのではないか。例えば「宇宙からの物体X」あるいは「惑星からの物体X」とか「異星からの物体X」だったなら、また反応は違ったんじゃないかと思ってしまうんですよね。
それはともかく「ノンキ」とか「弛緩」とかとは真逆のベクトルを持つソリッドな映画であることは確かなので、もし本当に邦題で引っかかってしまって、未だ観ていないという人がいたならば、是非思い切って観てほしいところです。