WANDA/ワンダ(1970)

製作国:アメリ
監督:バーバラ・ローデン
脚本:バーバラ・ローデン
出演:バーバラ・ローデン/マイケル・ヒギンズ/ドロシー・シュペネス/ピーター・シュペネス 他
★★★★★


こういう歩き方しかできないので

オープニング。とある炭鉱町のみすぼらしい家の中のソファでシーツにくるまって寝ている女性。どうも二日酔いらしく見える。赤ん坊の泣き声にせかされて不承不承起き上がった彼女は、ノロノロと動き始める。知り合いに小銭を借りて、町の裁判所に遅刻して到着すると、家事も育児もしない彼女との離婚を申し立てた夫が待っていて、彼女は離婚と親権放棄にあっさりと同意する。次に、かつて働いたことのある縫製工場を訪ねて、雇ってほしいと頼むが「君は仕事ができないからダメだよ」とストレートに断られ、これまたあっさり引き下がる。その後、あてどもなく町をぶらついた挙げ句に入った映画館で寝ている間に持ち金を全て盗られてしまう。そして、偶然に入ったバーで強盗をはたらいていた男・デニスと出くわした彼女は、なし崩し的に彼の共犯者となり、逃亡の旅に出ることになる。
彼女がワンダだ。
あなたはこんな彼女をどう思うだろう。もしもSNSで朝ドラにクソリプを投げつけているような人々が彼女の有り様を見たら口々に言うだろう。いわく「家事も育児もきちんとしないなら離婚されて当たり前」。いわく「仕事ができないならできるように努力すれば?」。いわく「寝ている間に金を盗まれるなんて危機管理できてなさすぎ」。いわく「犯罪者の片棒をかつぐとかあり得ない!」とか何とか。
そういうクソバイスに従って行動できるなら、彼女はこうなってはいないのである。世間一般が要求する「妻」「母」「労働者」などなどの役割を、どういうわけか彼女はうまくこなすことができない。何故、彼女がそのようであるのかは一切説明されないので想像するしかないのだが、そんな彼女を見ていて感じるのは、何でもすぐ諦めるということである。というか自分自身のこともとっくに見限っているようだ。だから彼女はある意味で強い。「したたか」と言ってもいい。彼女が、主に車上狙いで暮らしているちんけな犯罪者でしかないデニスと行動を共にし続けるのは、家も金も生活力もない自分にとってのとりあえずの得策だと割り切っているだけなのだ。
そんな彼女を、本作の監督であるバーバラ・ローデンは、社会に見捨てられた女として哀れみを込めて描いたり、あるいは問題提起をしたりしようとするのではなく、世間一般から見たらどうしようもない生き方──という言葉が嫌いなので(人生の)歩き方と言い換えるが──しかできないから、そのように歩き続ける人として、ただ見つめている。その一定のクールな距離感を保ちつつ、彼女を尊重する意思が感じられる。彼女は彼女なりに歩いているのであって、それを誰も否定する権利はないのだと。
実を言えば、僕もこんな風にしか歩けない、こうでしかありえない人生を歩む者である。詳細は伏せるが、僕は失敗に次ぐ失敗をしてきた。傍から見たら何故そっちに行くのかという方向ばかり選んで、あとで後悔するということを自分でもうんざりするほど繰り返してきた。だから彼女のことをとても他人事には思えないのだ。
だから思うのは、そんな歩き方しかできない僕やワンダのような人間が存在できる隙間がある社会であってくれということである。救えとは言わない。ただ、居場所は奪わないでくれと。