ライダーズ・オブ・ジャスティス/悪なき殺人

ライダーズ・オブ・ジャスティス(2020・デンマークスウェーデンフィンランド)
監督:アナス・トマス・イェンセン
脚本:アナス・トマス・イェンセン
音楽:イエッペ・コース
出演:マッツ・ミケルセン/ニコライ・リー・コース/アンドレア・ハイク・ガデベルグ/ラース・ブリグマン/ニコラス・ブロ 他
★★★☆☆

悪なき殺人(2019・フランス/ドイツ)
監督:ドミニク・モル
原作:コラン・ニエル
脚本:ジル・マルシャン/ドミニク・モル
音楽:ベネディクト・シーファー
出演:ドゥニ・メノーシェ/ロール・カラミー/ダミアン・ボナール/ナディア・テレスキウィッツ/ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ 他
★★★★☆


「偶然」と「陰謀」

突然ですが、「陰謀論者」というと最近では、メンバーが逮捕されて話題になった「神真都Q」みたいな反ワクチン団体の代名詞みたいになってますけど、昔からいたんですよ、あの手の人々は。有名なところだと「JFK暗殺」とか「アポロの月面着陸」とか「9.11」とかのそれぞれに「陰謀だ!」と叫ぶ人がいました(今でもいるかもしれない)。
私見では、こういう人たちに共通して感じるのは「“偶然”を認めない傾向」とでもいうもので、例えば反ワクチンの人たちなら、そもそも新型コロナウイルスなるものが、恐らく不幸な偶然の重なりの果てに地球規模で感染拡大してしまったということ自体への素朴な不信感が根っこにあって、そんな現実かどうかも疑わしい事態への対策として、よくわからないワクチンを打たれるのはイヤだ、というのが前提としてあるんじゃないかと思うんですね。それで、むしろワクチンを打つためにパンデミックをでっちあげたに違いない!という本末転倒なことを言い出してるんじゃないか。要するに自分の理解を超えたことが起こっている現実を受け入れがたいので、何とか呑み込める形の「ストーリー」を作って、そっちを頑なに信じているということなんじゃないか。

※以下、『ライダーズ・オブ・ジャスティス』、『悪なき殺人』の内容に触れておりますので、それぞれ鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

そういう人々を「アホだな~」と嘲笑するのは簡単です。でも、これは全く他人事ではなくて、誰でも「ストーリー」にのめり込む危険性はあるのだということを『ライダーズ・オブ・ジャスティス』(以下『ROJ』)はまざまざと描いていると思うわけです。
『ROJ』の舞台はデンマーク。主人公であるベテラン軍人・マークス(マッツ・ミケルセン)の妻は、ある日、乗っていた列車の事故で死んでしまう。彼女と同じ列車に乗り合わせていた数学者・オットーは、「ライダーズ・オブ・ジャスティス」と名乗る犯罪組織の首領が絡んだ殺人事件の証人が、やはり同じ列車に乗っていて死亡したことを知り、この事故は実は証人を消すために組織が仕組んだものに違いないと考えて、マークスに告げる。さらにコンピュータのスペシャリストであるオットーの仲間たちの調査により、事故が人為的に起こされたと思わせるデータが次々に見つかっていく……というのが本作の「ストーリー」です。
陰謀論者」の件をマクラにしたことからも察していただけると思いますが、これが実は全くの勘違い。オットーたちはまさしく「陰謀論者」になり果てていたという現実が、本作の後半で明らかになります。
そのことが露見するきっかけになるのが、事故の直前に怪しげな挙動をして列車から降りた疑惑の男の正体が、オットーの仲間による検索で一度はヒットしたもののデンマークにいるわけがないとして除外されたアフリカ在住の男だったという事実なのが極めて象徴的です。「アフリカに住んでる奴がデンマークの列車に乗ってるわけないだろ!」と決めつけていたら、なんと偶然にも彼は出張でデンマークに来ていて、問題の列車に乗り合わせただけだった。同様に、証人が乗っていたのも、列車が事故に遭ったのも全ては偶然であり、オットーたちは、単に都合のいいデータをつなぎ合わせて、信じたい「ストーリー」を作り上げていただけだったというわけです。
しかし、このことが判明した時点で既にマークスとオットーたちは組織との交戦状態に陥っており、今更「間違いでした、ごめんなさい」で済む話ではなくなっていて、事態は快調に悪化するんですが、その一方ではマークスと疎遠だった娘の距離が縮まったり、売春を強要されている青年を行きがかりで救ったりもする。この何とも言えない、社会的な悪を為すことで予測不能な局所的な善が実現するというカオス感。そして結局、マークスが妻を失ったダメージから立ち直るためだけに組織の連中が皆殺しになるという、いったいどう受け止めればいいのかわからない結末。とにかく、これまでにちょっと観たことがないフレーバーの映画ではありました。


さて、『ROJ』がいわば「“偶然”を認めない陰謀論者」の姿が垣間見えるドラマだとすれば『悪なき殺人』は「“偶然”に翻弄されまくる人々」のドラマです。
フランスのある寒村で、吹雪の夜に車を残して一人の中年女性が失踪するという事件が発生。その事件には、密かに不倫をしている人妻アリス、見知らぬ女性とのチャットにはまっているアリスの夫ミシェル、アリスの不倫相手の農夫ジョゼフ、一夜の相手が忘れられず会いに来た若い女性マリオン、そしてコートジボワールのチンピラ青年アルマンという5人の人物が関与しています。彼・彼女らは、実は偶然によって作られた不可視の関係でそれぞれが結ばれていて、そのことによって結果的に当事者にとっては不可解でしかない事件が現出してしまった、ということなんですね。
たとえるなら、偶然で起動する地球規模の超巨大なピタゴラスイッチ装置にこの5人は組み込まれているようなもので、ある人物のとった行動が、別の人物の行動の引き金を引き、それがさらに別の人物の行動を促し……という次第で事件が形作られていった。
だから、この事件の全容を把握することは人間にはまず不可能なわけです。偶然によって、それぞれの人物がアクションを起こした結果に過ぎないんだから。しかし悲しいのは、彼・彼女らがアクションを起こす動機は、当人たちにとってはあくまでも「愛」なんですよ。それぞれが「愛」に駆られて一線を超えた行動をしてしまい、結果としておよそ人間には理解できない「謎」だけが残されてしまった。
もし「陰謀」というものが存在するとしたら、この事件のメカニズムこそがまさに「陰謀」と呼ぶにふさわしいものだろうと思いますね。所詮人間が頭で考えた計画なんて必ず誰かに見破られるし、どこかから漏れるものでしょう。
そして、もちろん本作で描かれていることも、我々にとって他人事ではない。何故なら本作の登場人物同様に、我々もまた毎日・毎時・毎分・毎秒、偶然に翻弄され続けているからです。
そのことをこれまで以上にハッキリさせたのが、反ワクチンの人々が存在さえも否定したがっている新型コロナウイルスなんだよなあと僕は思っていて、何しろ感染するか否か、無症状で終わるか否か、重症化するか否か、そして死に至るか否か、これ結局のところ全て運、即ち偶然に左右されるんですから。本当に人間というのは実に無力なものなのだと思わずにはいられませんが、その無力さから目をそらすために「陰謀論者」になるのも絶対に避けたい。生きていくには、どうにも難儀な時代だなあとつくづく思います。

※4月30日加筆修正