プロミシング・ヤング・ウーマン (2020)

製作国:アメリ
監督:エメラルド・フェネル
脚本:エメラルド・フェネル
音楽:アンソニー・ウィリス
出演:キャリー・マリガン/ボー・バーナム/アリソン・ブリークランシー・ブラウン 他
★★★★☆


生きながら怨念に葬られ

この映画、様々な捉え方があると思いますが、僕としては「生きたまま怨霊と化していた」ある女性が、「本物の怨霊になってしまう」までを描いた哀しい物語だったなあと捉えております。

※以下、本作の内容に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

生きたまま怨霊になっている状態とは何か?まず、そもそも怨霊とは、例えば『リング』の貞子や『呪怨』の伽椰子のように「怨念」に囚われている存在だと定義することができると思うんですが、本作の主人公・キャシー(キャリー・マリガン)は、医学生時代に彼女の親友だったニーナが、パーティーで酔いつぶれて抵抗できない状態の時にレイプされ、そのために自殺してしまって以来、彼女の「怨念」を背負って生きてきた女性であり、つまりキャシーは死んだニーナの「代行」として彼女を自殺するほど追いつめた者たちを呪う怨霊と化してしまっていると言える。キャシーが、バーやクラブで酔いつぶれたふりをして、そんな女を「お持ち帰り」しようとするゲスな男たちに私的な制裁をくらわせるというヤバい行為を繰り返しているのはその表れだと思うわけです。
しかし貞子や伽椰子は本当に死んでいるので、プログラミングされたように生きた人間を永遠に呪い続けることができますが、ニーナを死に追いやった連中への「怨念」に囚われ、まったく前に進めない人生を送っているキャシーにとっては、やはりその状態であり続けることは苦痛でもある。だから彼女は、ライアン(ボー・バーナム)という医学生時代の同級生と付き合って、その「怨念」を、彼との新しい記憶を上書きすることで封じようと試みるわけです。ところが、それがうまくいったと思いきや、またもや振り出しに戻ることになる。何が起こるかの詳細には触れませんが、この容赦のない展開には驚きました。
とにかくこの件がきっかけで、キャシーはいよいよニーナのための最後の復讐に着手し、その結果、とうとう本物の怨霊になってしまうわけです。「本物の怨霊になる」とはどういう意味なのかは各自確認していただくとして、そこに至るまでにどうにもいただけない点がある。
終盤に、最後の復讐のターゲットとされた男が悪友と共にある人物の死体を処理して隠蔽を図るという展開になるんですが、これはどうなのか。だってこれじゃ単なる悪人じゃないですか。決して悪人ではないごく普通の男が、酔っぱらった女性相手なら非道な行為をしてしまう(そしてそのことで罰せられない場合がある)ということの恐ろしさを訴えたいというのが本作の主旨だろうに、これでは「ああ、人を殺して隠蔽するような極悪人だから、酔った女をレイプするなんてこともできたのね」ということになってしまうと思う。ここまではかなり面白く、また考えさせられながら観ていたので、これはどうにも残念でした。
それと「本物の怨霊になってしまう」運命をキャシーが辿らず、その代わりに彼女がそれまでに復讐した相手や私的制裁を加えてきた男たちから訴えられ、法廷に引き出されることになるというストーリーにするのもアリだったのではないだろうかとも思います。実は彼女もまた加害者なのだと自覚することでしか「怨念」から本当に逃れる方法はなかったと思うので。

※2022年1月9日、2023年11月19日加筆修正