スーパー!(2010)

製作国:アメリ
監督:ジェームズ・ガン
脚本:ジェームズ・ガン
音楽:タイラー・ベイツ
出演:レイン・ウィルソンエレン・ペイジリヴ・タイラーケヴィン・ベーコン 他
初公開年月:2011/6/11
★★★★★

キック・アス』へのシビアな回答

キック・アス』のクライマックスで、主人公はついに殺人を犯す。この映画では、とうとう素人ヒーローが本物のヒーローになった象徴として、そのシーンは扱われている。
本作においては、もちろんそれで正解だ。そのシーンの後、主人公とヒットガール(だった少女)が、二人とも普通の学生に戻って、楽しげに学校に登校するシーンで、この作品は終わる。悪との戦いに勝利して、平和な時が訪れたという訳である。この映画はあくまでコミックおたくの高校生が夢を叶えるというテーマの作品なのだから、これでいいのだ。
だから、この作品が恐らく期せずして提起してしまった問題について、製作者たちが突き詰めようとしなかったことも正解である。
キック・アス』が提起した問題とは、「ヒーローが行使する暴力も悪漢が振るう暴力も、暴力であるという点では変わらない」というものである。ヒットガールもビッグダディも敵のマフィア達と同じくらい容赦なく殺人を犯す。本作では復讐の名のもとに正当化されているが、彼らによるあまりにも残虐な殺人シーンは、その正当性を揺るがせかねないほどのものだ。
何度も言うが『キック・アス』において、その問題についてスルーしたのは正解だったと思う。それではジェームズ・ガンは、その問題について『スーパー!』で、どのように取り組んだのか?
『スーパー!』の主人公は、冴えない中年のコック・フランク(レイン・ウィルソン)である。彼にはドラッグ依存症を患っているサラ(リヴ・タイラー)という妻がいるのだが、ある日、彼女は街を仕切るドラッグ・ディーラーのジョック(ケヴィン・ベーコン)という男の元へ逃げてしまう。
フランクは、なんとかサラを取り戻そうとするが、ただのコックでしかない彼にはどうすることもできない。このまま泣き寝入りするしかないのか? そんな時、フランクは突然、「神の啓示(神のでかい指で脳みそを直に触られる!)」を受ける。自分を神に選ばれた者だと自覚したフランクは、この世の悪と戦うべく、自分で考えたヒーロー「クリムゾンボルト」に扮して、夜の街を徘徊し始める。もちろん超能力も不死身の肉体も持ち合わせないフランクはコミック店のバイト店員・リビー(エレン・ペイジ)に相談して、武器を携帯することにする。彼が選んだのは自動車修理用のレンチだった…。
そしてこの後は、事情を知らない他人の目から見たら、レンチ片手に突然人を襲う赤いコスチュームの変質者にしか見えない「クリムゾンボルト」の活躍(?)が描かれる。ヤクの売人を、ひったくりを、子供にフェラさせようとする変態を、そして行列に横入りしようとしたカップルまでをフランクはレンチで容赦なくぶん殴る。はじめは通り魔扱いだったマスコミだが「クリムゾンボルト」の犠牲者が犯罪者ばかりだということが判明すると好意的な報道もされるようになる…。
ここまでは、言わば『キック・アス』中年版という感じである。展開が違ってくるのは、この後だ。
勢いづいたフランクは、ついにサラを取り戻すためにジョックの屋敷に忍び込む。しかし返り討ちに遭って撃たれてしまい。傷ついたフランクはリビーの家に匿ってもらう。以前から「クリムゾンボルト」の正体がフランクだと気づいていたリビーは、フランクには相棒が必要だと主張し、自ら「ボルティー」と名乗って、強引にパートナーになってしまうのである。
リビーは、『キック・アス』の主人公・デイブのようなコミックおたくで、無邪気にヒーローに憧れている少女である。彼女は暴力を振るうことをためらわない。ヒーローなら許されると思っているのだ。だから些細な犯罪を犯したに過ぎない知人の頭を置物で割ろうとしたり、ジョックの手下の下半身に車を突っ込ませたりできる。いうなればアメコミに単純に熱狂する青少年の象徴のような存在と言ってもいいだろう。
リビーを相棒として認めたフランクは、ついに銃器や爆弾で武装して、二人でジョックの屋敷に再び殴り込む。嬉々として殺人を重ねるリビー。しかし、暴力を振るう者には、その「つけ」が回ってくるものなのだ。この作品は、その冷徹な現実を、これ以上残酷なかたちはないと思えるような表現で観客に突きつける。
「それ」が起こった後、激怒に駆られたフランクは自分が憎んでいた悪人同様にジョックの手下たちを殺戮する。追い詰められたジョックはサラを返すと言って命乞いをするが、ついにフランクは許さない。
全てが終わって、サラを連れ帰ったフランクだが、彼にもやはり「つけ」が回り、一人孤独にベッドに腰掛けるフランクのアップで本作は終わる(だがサラを救った彼にはささやかな救いがもたらされる。僕はここで泣いた)。
そう、『キック・アス』が提起した問題に対するジェームズ・ガンの回答は「だから、当然、その報いを甘んじて受けなければならない」というものだったのである。