ビーチ・バム まじめに不真面目 (2019)

製作国:アメリ
監督:ハーモニー・コリン
脚本:ハーモニー・コリン
音楽:ジョン・デブニー
出演:マシュー・マコノヒースヌープ・ドッグアイラ・フィッシャーザック・エフロンマーティン・ローレンス 他
★★★★☆


人を殺さない「アメリカン・サイコ

ブレット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』を読んだのは、もう20年以上前になります。映画版(2000/メアリー・ハロン)も観ましたが、僕は原作小説の方がより地獄感があって好きですね。
この作品の主人公であるパトリック・ベイトマンという男は、父親が所有している投資会社で副社長として勤務している、一見絵に描いたようなエリートなんですが、何不自由のない優雅な生活を満喫する合間にえげつなさすぎる手口で次々に娼婦やホームレスを殺し続けます。しかし彼は、何故自分がそんなことをしているのか、その動機を自分自身にさえ説明できない。
この小説の最も怖ろしいのはこの点で、彼は彼自身を語る言葉を持っていないんですね。その代わりに彼の口から発せられるのは、ブランド品の蘊蓄や「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース」についての知識などのペラッペラな借り物の言葉ばかりです。それは彼の内面が恐ろしいほど空虚だからで、実はそのことによって無意識に感じている劣等感が彼を殺人に駆り立てているんだと僕は解釈したんですが、彼自身は最後まで殺人の衝動がどこから生じているのか理解できないし、破滅して楽になることもできない。この徹底した救いのなさには映画版は到達できていないと思っています。
さて、実は本作『ビーチ・バム』の主人公・ムーンドッグ(マシュー・マコノヒー)もまた、ベイトマンとは別種の「アメリカン・サイコ」なのではないかと、ここで僕は主張したい。というのも彼らには明らかな共通点があって、まず両者ともに自覚のない「狂人」であるし、有り余る金があって働かなくても生きていける身分だし、常にヒマを持て余しているし、根本的には自分のことしか愛していない。
本作を観た方の中には「いやいや、ムーンドッグはあんなにも劇中で妻や娘に愛情を示しているじゃないか?」と思われる人もいるかもしれませんが、確かに彼は妻も娘も愛してはいるだろうが、それ以上に本当の意味で愛しているのは自分だけなのだと思うんですよ。劇中で彼があくまでも自分の快楽にのみ忠実に生き、誰に迷惑をかけようと自分が本当に望んでいることだけを易々とやってのけられるのが、そのことを証明していると思います。
しかし、両者にはハッキリ違う部分もあって、上記のようにべイトマンは自分を語るための言葉を持たない空っぽな人間ですが、ムーンドッグはどんなに酒や麻薬に溺れ、ホームレスになっても詩を書き続けられるほどに、自分の内面から湧き出る言葉を持っている。べイトマンとムーンドッグを分けるものはその一点で、それがなかったらムーンドッグもまた女を犯しては切り刻んていたかもしれない。
だから、本作は「自分を語る言葉を獲得したパトリック・べイトマン」の物語として捉えられるのではないか、というのが僕の見方です。