ナイチンゲール(2018)

製作国:オーストラリア/カナダ/アメリ
監督:ジェニファー・ケント
脚本:ジェニファー・ケント
音楽:ジェド・カーゼル
出演:アイスリング・フランシオシ/サム・クラフリン/ベイカリ・ガナンバー/デイモン・ヘリマン 他
★★★★☆


19世紀の「わきまえない女」

「わきまえない女」というのは、ご存知の方も多いでしょうが、東京オリンピックパラリンピック大会組織委員会の会長だった森喜朗氏の発言への反応として、今月の頭にツイッターのトレンドになったりした言葉です。まあ、森氏については、世界で最も本音をポロリしちゃダメな役職のひとつに自分が就いているということがイマイチわかっていなかったという致命的な事実が明らかになったわけなので、クビもやむなしと思う。

※以下、本作の内容に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

それはともかく、本作の主人公・クレアは、まさに正真正銘の「わきまえない女」です。何しろ舞台となっている1825年のオーストラリア・タスマニアにおいて女性であり、流刑囚でもある彼女は、“身分をわきまえた”言動をしなければ殺される可能性もあるにもかかわらず、自分をレイプし、夫と子供を惨殺した英国軍将校ホーキンスを筆頭とする三人組への復讐を企てるわけですから。
ある事情から険しい山岳地帯に分け入ったホーキンスたちを追跡することになったクレアは、ガイドとして先住民アボリジニの男性・ビリーを雇うんですが、ホーキンスに性処理の道具のように扱われ続けてきた彼女なのに、アボリジニであるというだけでビリーに差別的な対応をしてしまう。当時のこの地でのヒエラルキーとしては白人男性(ホーキンス)>白人女性(クレア)>アボリジニ男性(ビリー)という構図なのだから仕方がないんですが。
そんな立場の違いから反目し合いながらもビリーの協力により、山中でついにホーキンスたちに追いついたクレアは、まず子供の仇である若い兵士を殺します。そして、そのまま残りの二人も血祭りにあげることになるのか?と思いきや、ここから予想外の展開になる。クレアは一度はホーキンスたちに銃を向けますが、撃つことができずに逃げられてしまうし、手にかけた若い兵士の亡霊も見てしまうし、挙げ句の果てに体調を崩してしまったりもするので、いったいこの物語はどうなっていくのか?と思わせますが、実はこの山の中を二人で右往左往する部分が本作のキモだと思う。苦境をビリーと共に乗り越えることで、クレアの中にあった差別意識が薄れ、ビリーを自分と同じように力のある者に迫害された同志として受け入れるに至る過程が描かれるからです。
その後二人は、ホーキンスたちが目指していた町にようやくたどり着き、彼らを発見します。彼女は、ついに復讐を果たすのか?そこからの展開も意外といえば意外なんですが、山の中で彷徨う中で、ビリーと共に獲得した何か――強いて言えば「人間性」とでもいうべきか――が彼女にああいう行動をとらせたのではないか。僕はたわいもなくグッと来てしまったんですが、実をいうと僕は、本作がいわゆる「レイプ・リベンジもの」の映画だと思い込んで観に行ったんですけど「レイプ・リベンジもの」ならあり得ない展開ではあります。
というか、本作は「レイプ・リベンジもの」ならば作劇の都合上省略してしまうであろう要素を残らずすくい上げていくような映画だったなと鑑賞後に思いました。その要素とは、序盤におけるビリーに対するクレアの傲慢な態度をはっきり差別意識の表れとして描くことであったり、たとえクレアが振るった暴力であっても容赦なく残虐なものとしてごまかさずに描くことだったりします。そういったものを省略せずにきっちりリアルに描くという態度から、この監督は差別と暴力にきちんと向き合う覚悟を持っているのだと僕は解釈しました。