TENET テネット/ドロステのはてで僕ら

TENET テネット (2020・アメリカ)
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン
音楽:ルートヴィッヒ・ヨーランソン
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン/ロバート・パティンソンエリザベス・デビッキケネス・ブラナー 他
★★☆☆☆

ドロステのはてで僕ら(2020・日本)
監督:山口淳太
原案:上田誠
脚本:上田誠
音楽:滝本晃司
出演:土佐和成/朝倉あき/藤谷理子/石田剛太/本多力 他
★★★★☆

未来のことなんか知らねえよ

頭が悪くなった。
いや、僕をリアルに知っている人々からは「あんたが頭弱いのは昔からですよ?」というツッコミが入るだろうが、それに輪をかけて悪くなったんですよ。

※以下、『TENET テネット』、『ドロステのはてで僕ら』の内容に触れておりますので、それぞれ鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

このことを痛感したのは、他でもない『TENET テネット』(以下『テネット』)を観た時だった。飛行機を空港の倉庫にぶつける作戦のあたりまでは、かろうじてついていけたのだが、そこから先がもうダメ。クライマックスの「順行」と「逆行」の部隊が入り乱れる戦闘シーンに至っては、訳がわからなすぎて呆然としてスクリーンを眺めるばかり。
あまりにもわからなかったので2回観たんですが、それでわかったのは「自分はもう、この手のパズル的な“辻褄合わせ”の面白さが売りの作品を、理解力が及ばないがゆえに楽しめないのだ」という悲しい現実。かつて『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』をオールナイトで観た後に、終夜営業の喫茶店だったかファストフード店だったかで、一緒に観た連中と「ウオー! こうなってああなって結局辻褄合ってて凄い!」などと盛り上がった頃からあまりにも時は過ぎてしまった。もはやそういうことには夢中になれないのだということをイヤというほど思い知らされました。
だから、僕としては本作から時間の「順行」・「逆行」についてのアレコレを除外して考えざるを得ないんですけど、そうすると何かねえ、これってつくづくヒドい話だなあと思ってしまう。いろいろあって事態が収束した直後、主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、これから死ぬ運命にある相棒のニール(ロバート・パティンソン)が実は近未来から来た男であり、彼を過去へ送り込んだのは、近未来において、本作の悪役を操っていた未来人に対抗する組織のボスとなっている自分自身だったということを知るんですが、つまり「こいつは死ぬんだよなあ」とわかった上で過去に送っている訳で、いや、そうしないと「辻褄が合わなくなる」のは百も承知で、でも「これ、辻褄合わせ以外の意味なくないか?」と思う。死ぬとわかっている男を過去に送るのは『ターミネーター』も同様だけど、あの作品では、そうせざるを得なくなる事情が物語のツイストとして機能していたと思うんですよ。一方の『テネット』のこれは、どうもノーランの「この作品はループ構造にしたい」という美意識が先行したための結末という印象が否めない。そもそも組織のボスが主人公自身なら、あの序盤の主人公への拷問も自分で指示してやらせていることになる訳で、そんな時空を超えてドМな奴いるか?本当は別のオチだったんだけど、やっぱりループでキレイに落としたいということで変更したのでは?などと勘ぐってしまう。
ともあれ「時間もの」特有の、先に「結果」が確定していて、それに「原因」の方を合わせなければならないという、あり得ない状況設定によって導き出された不条理なストーリーだよなあ、理不尽だなあという感が強く、現状の僕にはこういう話に「乗る」こと自体が困難だし、面白く感じられないんですわ。
という訳で『テネット』には乗れなかった僕ですが、ジャンルとしては『テネット』同様の「時間もの」に属する『ドロステのはてで僕ら』(以下『ドロステ』)はかなり面白かったです。
何が面白いかと言うと、上記の「因果の逆転」というパラドックスを、そのまんまギャグにしているところ。例えば、主人公のカトウ(土佐和成)が、彼が密かにホレているメグミ(朝倉あき)という女性をライブに誘ったらOKもらったぞ!と2分後の未来が映るテレビを通して2分後の自分自身から教えられ、それで勇気を得てメグミを誘ったら、あっさり断られてしまったものの、辻褄を合わせるために2分前の過去が映るテレビで2分前の自分に「OKもらったぞ!」とウソをつく羽目になるくだりは、まさに「時間もの」の「辻褄合わせ」が孕むバカバカしさが浮き彫りになっていて秀逸だと思う。
ヤクザが持ち逃げして隠した金を発見したり、ヤクザの事務所に囚われたメグミを助けたりするくだりでも、登場人物たちが未来から過去の自分たちや主人公にアドバイスすることで(本来試行しなくてはならない)過程を全てすっ飛ばしてクリアするという、これまたよく考えたら「因果の逆転」を逆手にとったギャグになっており、笑いました。
そして、オチに至っては、ついに「未来のことなんか知らねえよ!」とばかりに「辻褄合わせ」をあっさり放棄してしまうのが何とも痛快。
確定した「未来」を守るべく、辻褄合わせのために「現在」の人間が犠牲になる『テネット』より、思いっきり「未来」に向かって中指を立てる『ドロステ』の方が、はっきりと今の僕には好みです。

※4月2日、加筆修正