GODZILLA ゴジラ(2014)

製作国:アメリ
監督:ギャレス・エドワーズ
脚本:マックス・ボレンスタイン
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン渡辺謙ブライアン・クランストン 他
初公開年月:2014/07/25
★★☆☆☆


GODZILLAを崇めよ」とギャレス・エドワーズは言った

唐突ですが、僕が思うにピンク映画と怪獣映画には、二つの共通点があると思うんです。
まず、どちらも観客に見せなければならないものがハッキリしているという点。ピンク映画にエロいセックスシーンが不可欠であるように、怪獣映画は、何よりもまず怪獣による破壊と殺戮のスペクタクルを見せなければならない。
二つ目は、だからと言って不可欠な要素「だけ」では映画として成立しないという点ですね。例えば始めから終わりまで、会話も何もなく、ひたすらセックスシーンだけが続くピンク映画なんてものがあったら、それ単なるズリネタだろってことで映画とは言えないと思います。同様に、怪獣が暴れまくり、破壊しまくる描写だけが最初から最後まで延々と続く怪獣映画なんて、きっと単に退屈するだけの代物です。
ピンク映画ならば、セックスをする男女の、怪獣映画なら、怪獣に遭遇した人間たちのドラマが、やはり必要だと思うわけです。
で、どこからどう見ても立派な怪獣映画である本作では、一体どういうドラマが展開されているのか、という話になるわけですが、これが、どうもよくわからない。
何がわからないかって、一体何を言わんとしているのかが理解不能なわけです。「核と人類」について何かしら言いたいんだろうなあ……くらいは勿論推測できますが、なんか歯切れが悪いというんですか、ビシッと明快に伝わってこない。作り手が「核」についてどう捉えているのかという極めて基本的なことさえ判然としないのです(以下、ネタバレです)。
例えば、本作にはM.U.T.O.(ムートー)なる、なんと放射性物質を食べる性質を持つという、今の日本からしてみたら是非とも飼いたい「究極の益獣」みたいな怪獣がオス・メス二体登場します。そして本作の準主役格の芹沢博士(渡辺謙)はムートーとゴジラを極秘裏に研究していた超国家的秘密機関「モナーク」に所属しているわけです。だったら、ゴジラを含めた三体の怪獣を一気に殺っちまおうと米軍が計画した時、まずはムートーを支援してゴジラを片付けましょうと芹沢博士が提案するのが順当な流れじゃないでしょうか。もしもムートーを飼いならせれば人類にとっては放射性廃棄物を処理してもらえるという確かなメリットがあるわけですから。でも、それはしない。それどころか「自然にまかせましょう」的なことを言って、でも明らかにムートーを退治してもらうことを期待しつつ、ゴジラに丸投げです。まあ、ムートーをコントロールできなければ、連中が空腹になるごとにどこかの原発だの原潜だのが襲われるという厄介な事態が続くわけなので、つまりは「人類にはやっぱり核は必要!」という主張が背景にあるのか?
その一方、米軍は、ゴジラ核兵器では殺せないということがとっくにわかっている(本作では、なんと過去に行われた核実験はすべてゴジラを殺す試みだったという衝撃の設定を採用しています)というのに、上記の三体の怪獣殲滅作戦で、またもや核兵器でとどめを刺そう!というバカ作戦を決行しようとします。普通こういう愚行は(大抵は主人公によって)未然に防止されるのがセオリーなんですが、防がれるどころか、なんとゴジラがムートーを倒した後で、全く意味無く核爆発が起きてしまうという体たらく。つまり、これは「核兵器なんか無意味だ!」というメッセージなのか?
そんなよくわからない、ちぐはぐなストーリーの中で、では主人公のフォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)の言動に何かテーマらしきものが見えるかといえば、この人の影の薄さときたらハンパない。何しろ全くと言っていいほど主人公らしいことをしないんです。ゴジラを援護するとかヒロイックな見せ場ゼロ。ただひたすら妻子の待つ家に帰りたいだけの人になっちゃってます。そんでラストは、やっとのことで愛する妻子と再会してめでたしめでたしとなるわけですが、じゃ、要するに「核よりも愛!」みたいなうすっぺらい事を言いたいってことなのか?
……というような有様で、ゴジラとムートーと人類、この三者の関係を、この作品ではどう捉えていて、その関係性を描くことで「核と人類」について何を言おうとしているのかが、どうにもハッキリしないのです。序盤に起こる日本での原発事故とか、芹沢博士の父親は広島への原爆投下で亡くなっているという設定とかも含めて、単に「核」の問題をめぐる意匠を散りばめておいて、散りばめただけで終わってしまっている。そんな印象を持ちました。
ただ、唯一ハッキリ伝わってきたものもあって、それは、ゴジラを神のごとく(実際神のような超生物として描かれているわけですが)崇拝し、仰ぎ見る宗教的心性です。それは主に芹沢博士を通じて表現されるのですが、彼は、ラストシーンではとうとう科学者の立場を放棄して、完全に崇拝者の目でゴジラを見つめるのです。そして、それはたぶんギャレス・エドワーズの目でもあるのでしょう。だから、本作のテーマとは結局は「GODZILLAを崇めよ!」ということに尽きるんじゃないか、これは壮大なるファンムービーなんじゃないかなと思いました。

(10月14日、加筆修正)
(2019年6月4日、加筆修正)