007 スカイフォール(2012)

製作国:イギリス/アメリ
監督:サム・メンデス
脚本:ニール・パーヴィスロバート・ウェイドジョン・ローガン
音楽:トーマス・ニューマン
出演:ダニエル・クレイグハビエル・バルデムジュディ・デンチ 他
初公開年月: 2012/12/01
★★☆☆☆


007に愛を込めて

現在の「スパイ映画」ジャンルの状況を見渡すと、かたや「ジェイソン・ボーン」シリーズが、まさに21世紀型のソリッドなスパイアクションのスタイルを提示したシリーズとして地位を確立しており、その一方で「ミッション・インポッシブル」シリーズが、とにかくマンガチックかつ大味なアクションなら、うちの大将トム・クルーズに任せてくれりゃいいのだと気を吐いていて、そして、その間に挟まれた老舗の「007」シリーズは、そのレゾンデートルを示そうと奮闘しているという構図に見える。
そんな中、今回の『スカイフォール』では、「よし、007は今だって世界に必要であることを証明しよう!」などと思いついてしまったバカがいたせいなのか、よせばいいのに現代における007の存在価値をテーマとしてぶちあげてしまった。そして失敗した。
なぜならハビエル・バルデム扮する今回の敵役・シルヴァや、Q(ベン・ウィショー)が作中度々口にするように、あくまでも現代を舞台として考えるなら、もはや007のような徹頭徹尾単独行動にこだわるスパイ・ヒーローは現実離れもはなはだしいことは明白なのである。諜報活動はネットで十分可能だし、もし暗殺が必要なら、オサマ・ビンラディンの例のように特殊部隊を派遣すればいいだけの話だ。007がもはや骨董品なのは確定していると言っていい。
それを裏付けるように、本作のストーリーは、常にシルヴァが先手を取って進行していく。ネットを自在に駆使して翻弄してくる彼には、相変わらず拳銃と腕力と秘密兵器とセックスアピール(笑)にものを言わせるしかない007はリードされっぱなしとなる。
全てはシルヴァの計画通りに進行し、ついに彼はあと、ほんの少しで目的を果たしそうになる。しかし、それを(かなりの程度レイフ・ファインズのおかげで)かろうじて防いだ007は予想外の逆襲に転じる。
彼は、某所にある自分の生家まで、シルヴァをおびき出すために遥々旅をするのである。その際、あの伝説的ボンド・カーであるアストン・マーチンに乗って行くのが極めて象徴的だ。つまり、シルヴァが展開する現代的な戦いに勝ち目を見いだせなかった彼は、自らがヒロイックに戦うことが可能な場所――かつての007を名乗った男がアストン・マーチンに乗っていた頃と変わらないような、時代に取り残された場所――ならば互角に勝負できると踏んだのだ。言わば、これは現代から過去への遡行の旅なのである。
実際、007が生家にたどり着いてから、やがてやって来るであろうシルヴァを迎え撃つための様々な準備を進めるシークエンスは、もはや21世紀のスパイ映画の絵柄ではない(まるで西部劇の篭城戦だ)。しかし、結局ここで戦うことを選択したことによって、大きな犠牲を払いつつも、かろうじて彼は勝利するのである。
さて、現代のテクノロジーを駆使した戦いにおいて手も足も出なかった男が、自分の過去の世界に相手を引き込むことで勝利する、というこのストーリーの流れから何が読み取れるだろうか?
それはつまり、この映画の制作陣は、ぶっちゃけ以下のようなことを言いたいのではないかということである。
「俺たちは誰が何と言おうと007の伝統が好きなの! 現実の世界情勢なんてどうでもいいの! だから、マイナーチェンジはするけど、基本これまでどおりやっていくから、よろしくネ!!」
いや、ホント、こんなところが本音じゃねえかと思うのは、ラストで、ダニエル・クレイグ版では完全に存在が無視されていた「マネー・ペニー」が今頃かなり無理やりな形で登場するのを見るにつけ、「俺たちは伝統を守り続けることを誓うぜ!」という後ろ向きな意志を感じざるを得ないからである。
ま、要するに本作は007に改めて捧げる制作陣からの愛のメッセージなんですな、50周年だし。そう思えば腹は立たない。評価はできないが。