ランボー ラスト・ブラッド (2019)

製作国:アメリカ/スペイン/ブルガリア
監督:エイドリアン・グランバーグ
キャラクター原案:デヴィッド・マレル
原案:シルベスター・スタローン
脚本:マシュー・シラルニック/シルベスター・スタローン
音楽:ブライアン・タイラー
出演:シルベスター・スタローンパス・ベガ/アドリアナ・バラーサ/イヴェット・モンレアル/セルヒオ・ペリス=メンチェータ 他
★★★☆☆


「ワンマン・アーミー」の終わらない戦争

このブログをお読みいただいている方々には釈迦に説法かもしれませんが、アクション映画の中には「ワンマン・アーミーもの」とでもいうべき「超人的な主人公が(だいたい)一人で大量の敵を皆殺しにするのが売りという作品群」がありまして、まあ『コマンドー』(1985)なんかその知名度から代表格と見なされがちですが、僕はやっぱり「ワンマン・アーミー」と言えばランボーだろという立場です。なにしろシリーズ第1作『ランボー』(1982)の原作小説の邦題は『一人だけの軍隊』(デヴィッド・マレル著・ハヤカワ文庫)ですからね。由緒正しき「ワンマン・アーミー」という感じがする。
そのランボーも、前作『ランボー/最後の戦場』で長い「ワンマン・アーミー」生活に終止符を打ち、本作の序盤では、古い友人のマリアとその孫娘ガブリエラと共に牧場を営んで生活している様が描かれます。一見すっかり人のいいおじさん風になったランボーですが、実は牧場の地下に、ベトナム戦争時のベトコンが作っていたような迷路状のトンネルを一人で掘っており、例のナイフや銃器をそのトンネル内に保管している。なぜ何事も起きていないうちからこんなものを掘っていたのか? そして生活の合間に精神安定剤らしき錠剤を飲み下すランボーの姿もさりげなく描かれ、そこはかとなく不穏なムードになってきたところで、メキシコの人身売買組織にガブリエラが誘拐されるという事件が発生。奪還のために単身敵地に乗り込むランボーだったが……という展開になります。
ここまでで、敵の人身売買組織が如何にクズかというのを見せておいて、以後は、そいつらをランボーが復讐のために完膚なきまでに叩き潰す様をこれでもかと見せつけるというシンプルかつ王道の構成なんですが、その描写があまりにもトゥー・マッチ。組織のボスの弟の首を切断して、メキシコからアメリカに戻る車上からゴミみたいにポイッと路上に投げ捨てるシーンの酷薄さはすごいと思った。これ、ランボーじゃなかったらホラー映画に出てくるシリアル・キラーの所業ですよ。
その後、牧場を襲撃してきた人身売買組織のメンバーを例のトンネルに誘い込んでゲリラ戦に持ち込んでからも、ホラー映画でもやりすぎと言われるレベルの人体損壊描写が文字通りの出血大サービス。銃器やブービートラップなどによる様々なバリエーションの残虐な殺人が繰り広げられて、いくらこういうのに目がない僕でもちょっとお腹いっぱいになったし、クライマックスは当然組織のボスとの対決なんですが、対決っていうか単なる一方的な嬲り殺しであり、あまりのやりすぎ加減にちょっと笑いました。
ちょっと笑いはしたものの、しかしここまでハードコアな描写にしたのは何故なのかと考えてみるに、これは実はランボーの精神の荒廃を表現しているのではないかと思うんですよね。長きにわたる「ワンマン・アーミー」生活が破壊した彼の精神の在り様が、彼の戦い方にそのまま表れているんじゃないかと。そして、あのトンネルや精神安定剤のくだりはそのことを暗示しているのではないかと思います。
つまり彼は、故郷に帰ってはみたものの本当に平穏な生活を手に入れられてはいなかった。戦場からの帰還兵がPTSDに苦しむように、「ワンマン・アーミー」としての戦いの日々が彼の心に残した傷に苦しめられていたのだ、ということになり、全く救われない話だなとなってしまうんですが、本作が本当にシリーズ最終作ならば、ベトナム戦争の記憶に苦しむ帰還兵・ランボーベトナムでの戦闘をアメリカで再現してしまう第1作と見事に相似形を形作っていることになり、シリーズのラストとしては相応しいのかなとも思いました。