ジェシー・ジェームズの暗殺

ある卑怯者のバラッド

例えば、マーク・チャップマンにとってのジョン・レノンがそうだったように、ジェシー・ジェームズはロバート・フォードにとって、長らく崇拝の対象であり、全身全霊をもって愛を捧げていた人物だった。にもかかわらず、その全幅の愛を受け入れてもらえる可能性などないことに気づいた時、チャップマンがレノンにしたのと同じことを彼は実行してしまう。しかも丸腰のジェシーを背後から撃つという最悪の形で。
たぶんロバートはジェシーの目を見ながら撃つことはできなかっただろう。卑怯者とは、つまりそういう人間のことを言う。しかし彼は決して生まれついての卑怯者ではなかったのだと思う。恐らくジェシーという巨大な存在を超えることは無論、信頼すらしてもらえないという厳然たる現実に苛まれた末に、彼は希代の「卑怯者」として歴史に名を刻むことを選んだのではないか。
これは一人の傷つきやすい若者が、あるカリスマ的な人物に惹かれ、翻弄され、絶望させられて、殺すに至る物語である。とても哀しい物語だ。彼を待つ結末もまた哀れである。