アバター

魂はこもってないけどイイ商品

監督:ジェームズ・キャメロン
脚本:ジェームズ・キャメロン
音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:サム・ワーシントンゾーイ・サルダナシガーニー・ウィーヴァー 他
ストーリー:任務中の負傷が元で車椅子での生活を余儀なくされた元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は、死んだ双子の兄の身代わりとして、惑星パンドラでの貴重な鉱物を採掘するためのプロジェクトに参加することになる。彼に課せられた任務は、パンドラで自由に活動するために先住民「ナヴィ」と人間のDNAを掛け合わせて創られた“アバター”を操って、ナヴィたちとの交流を図ることだった。アバターに意識を没入させたジェイクは、パンドラの森の中で、ナヴィの美女ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と運命的な出会いを果たす。


犬温(バカ)と、新宿バルト9にて鑑賞。
ここはXpanD方式での上映。各所で書かれているようにメガネが重い。特に僕はもともとメガネをかけているので、メガネ・オン・メガネ状態となってしまって重さ倍増。鑑賞中に鼻の付け根がズキズキと痛みだした。
おまけに、この映画は、キャメロン先生は空間恐怖症か?と勘繰りたくなるほど、常に画面がみっしりと、人物やメカやキテレツなジャングルやけったいなクリーチャーなどで埋め尽くされ、なおかつ3D処理されているので、その、もはや過剰としか言いようがない視覚情報を処理するだけで僕の貧弱極まりない視神経はいっぱいいっぱいになり、終盤では鼻だけでなく、こめかみまでズキズキしてきて、いささかまいった。
そんな瞳と鼻に優しくない本作だが、もはや各所でさんざん語られているようにお話の方はと言えば、「SF版『ダンス・ウィズ・ウルブス』」の一言で片づけられる程度の、ちょっと頭の弱い方にも安心の仕様。ツッコミ所も多々あり、鑑賞後、犬温と二人でドトールにコーヒー一杯で6時間ねばりつつ、さんざんこきおろしてご満悦となったのだが、後日よくよく考えてみると、どうもまんまとキャメロンの術中にはめられたのでは、という疑念が頭をもたげてきた。
だいたい僕らごとき極東の島国にひっそりと生息しているようなボンクラでも指摘できるような穴を、ハリウッドのストーリー・アナリストが見逃すはずがない。だから、意図的に「ゆるい」シナリオにしたと考える方が妥当なのである。しかし、それは何故か?
本作は、2億3700万ドルという巨額の製作費を投じて作られた、いわば絶対ハズせない映画だ。したがって、できるだけ幅広い客層を取り込まなければならなかった。つまりSFに弱い女性客や、ややこしい話にはついていけないお子様でも楽しめるようにハードルを最大限下げる必要があったわけだ。
その結果として、お話としては大雑把もいいところで、細部はいい加減で、キャラクターの描写もかなりうすっぺらという残念なシナリオになってしまったものの、それを補うように、最先端の映像技術を惜し気もなく投入して作り上げた大スペクタクルのてんこ盛りによって強引に見せきる作品に仕上がった。そして、全世界興行収入記録歴代第一位という結果を得たことを見れば、そのような作品にするという選択は結局のところ正しかったのである。――ビジネスとしては。
そう、実際この映画は、よくできた商品だ。いや、もちろん映画だって商品の一種なのだが、この映画は恐ろしく商品性に特化しすぎている感がある。だから、これも推測にすぎないのだが、このようなストーリー(すなわち「SF版『ダンス・ウィズ・ウルブス』」)として制作されたのも、実は周到なマーケティングによる結果だったのではないかとさえ思ってしまう。一時「反米的」などと批判されたが、キャメロンにそんな主義主張があったわけではなく、単に現在は、このような物語が客に「ウケる」から選ばれたというだけのことなのではないか。
はっきりしていることは、この映画からはキャメロンのこれまでの作品(あの『タイタニック』さえも含めて)にあったサムシングが感じられなかったということである。退屈こそしなかったけれど。

※「まどぎわ通信」閉鎖に伴い、一部修正(5月24日)