パラサイト 半地下の家族 (2019)

製作国:韓国
監督:ポン・ジュノ
脚本:ポン・ジュノ/ハン・チンウォン
音楽:チョン・ジェイル
出演:ソン・ガンホ/イ・ソンギュン/チョ・ヨジョン/チェ・ウシク/パク・ソダム 他
★★★☆☆


この映画と『シャイニング』(1980)の共通点について考えてみた

まあ、こじつけというか妄想というか、よくわからない思いつきなんですが、とりあえず考察してみました。なおネタバレしていますので『シャイニング』と『パラサイト~』を未見の方は鑑賞後にお読みください。


1 ある家族がある建物に「入り込む」ことから物語が始まる
ホテルの管理を住み込みで任される『シャイニング』のジャック・ニコルソンおよびその家族(以下「シャ一家」)と、家庭教師や家政婦・運転手として雇われる『パラサイト~』の家族(以下「パラ一家」)とでは全然違うだろ!というツッコミもあるでしょうが、いろいろな枝葉を取り払って、“ある家族がある建物に「入り込む」”と単純化してみると、この点は両作に共通していると言えるんじゃないでしょうか。


2 その建物には「呪い」がかけられている
「シャ一家」が住むことになるオーバールックホテルは、以前の管理人が家族を惨殺した挙句自殺している(その他にも例の「237号室」の件など、いろいろな事件があったと推察される)という、堂々たる「事故物件」です。それに対して「パラ一家」が出入りする金持ち一家の豪邸にはそういうわかりやすい因縁はない。しかし実は、この家を建てた建築家が密かに地下室を作っていて、そこに隠れ住んでいる「地下の住人」が、「パラ一家」が関わる以前から存在しており、しかも、その地下室は本来、かつて想定されていた北朝鮮のミサイル攻撃から身を守るためのものだったというのは、オーバールックホテルがインディアンの墓地の跡地に建てられたという設定と同様の、いわば「忌まわしい歴史の呪い」を感じさせます。


3 その建物では「幽霊」が出没する
今更言うまでもなく、オーバールックホテルには様々な幽霊が出現して、「シャ一家」を恐怖に陥れますが、対して「パラ一家」は、あの豪邸で本物の幽霊ではなく、食べ物を探していたところを目撃されて「幽霊と誤解された人物」、すなわち上記の「地下の住人」と遭遇します。しかし、この人物を目撃した金持ち一家の長男ダソンにはトラウマになるほどのショックを与えたのだから(そしてクライマックスでは失神するほどのショックを再び与えるのだから)、少なくとも彼にとっては「幽霊」そのものだったのだと言っても過言ではないでしょう。


4 最終的に父親だけが、その建物に「封印」される
『シャイニング』のラストに映し出される、1921年7月4日にオーバールックホテルで撮影された写真に、ジャック・ニコルソンが写っているのは何故なのか? まあ諸説あるんでしょうが、僕としては、彼が「ホテルに封印されてしまった」のだということを示しているのだと思っています。
同様に『パラサイト~』では、ソン・ガンホが演じる「パラ一家」の父親が、まるで因果応報という成り行きで、あの豪邸の地下室に「封印される」という結末を迎えます。
そしてジャック・ニコルソンが、オーバールックホテルを彷徨う幽霊の仲間入りをするであろうと思われるように、ソン・ガンホもまた、あの「地下の住人」のように隙を見ては豪邸内を徘徊する幽霊のような存在になってしまうことも想像できます。


ところで何故、両作とも父親だけがそんな運命を辿るのか。これは、国や文化の違いを超えて「家」というものと「父親」という存在が、分かちがたく結びついているということなんじゃないか。つまり「家と父」の関係についての問題がこの二作品の背景にはあるということなのではないでしょうか。
『シャイニング』のニコルソンは、作家では家族を養っていけず、やむを得ずホテルの管理人の職を得た(それによって皮肉にも「豪邸」住まいとなった)ということにコンプレックスを感じていたに違いなく、そのことによってホテルに取り憑いた悪霊に付け入る隙を与えてしまったと推測できます。一方、『パラサイト』のソン・ガンホは自分の力では家族を半地下のボロいアパートにしか住まわせることができず、そんな自分をふがいなく思っていたと思われ、そのコンプレックスが、件の「地下の住人」に対するひどい扱いを目撃したことで刺激され、クライマックスでのあのような思いもよらない行動につながったのだと考えられます。
つまり「家」を、本来は「父」である自分の力で建てて、支配しなければならないのだという内なる強迫観念こそが真の呪いであり、それが彼らを各々にとっての「呪いの家」と「幽霊」へと導き、最終的に悲劇的な運命に陥らせたのだというのが、現時点での僕の結論です。

※2023年6月23日・8月1日加筆修正