リダクテッド 真実の価値

フィクションで語られる「現実」

2006年、イラク・サマラ米軍駐留地。エンジェル・サラサール上等兵(イジー・ディアズ)は、イラクでの日々をビデオで撮影し、映画学校に入学しようと目論んでいた。しかし彼は検問所担当のため、迫力ある映像が撮れずに不満を溜め込んでいた。ところが検問所での退屈な日々はスイート上級曹長(タイ・ジョーンズ)が道ばたに仕掛けられた爆弾によって爆死してから急速に不穏なものになってゆく。そんなある日、リノ・フレーク上等兵(パトリック・キャロル)が、あるイラク人少女の家に押し入ろうと提案する。それが悲劇の始まりだった……。


ダイアリー・オブ・ザ・デッド』のレビューに書いたように、僕らは映像が必ずしも真実を語らない時代を生きている。誰かにとって都合の悪い映像は削除編集(リダクテッド)され、まずい部分は闇に葬られる。確かに起こったことが「起こらなかったこと」にされる。現実さえ「リダクテッド」されるのだ。
だから、この作品でブライアン・デ・パルマは「神」の立場から作品を構成してみせた。サラサール上等兵のプライベートビデオ、フランスのテレビ局が制作したドキュメンタリー、従軍記者の取材映像、ネット上のテロリストの犯行声明、「You Tube」の動画、軍の監視カメラの映像など、早々に「リダクテッド」されてしまいそうな映像を「神の手」によって切り取り、繋ぎ合わせることで、どこにでもいるような米兵の一団が、強姦殺人犯に変貌していくプロセスを淡々と見せてゆくのだ。
この作品では感情は一切排されている。ただ起こったことを記録した映像を拾い上げ、繋いで、観客に突きつけている。「こんな現実がある。お前はどう思うんだ?」と。
ただ、注意しなければならないことがある。それは、この作品を構成している様々な映像素材は当然フェイクだということである。フィクションが現実を模倣している。その点を忘れると僕たちは別の罠にはまるだろう。そういう意味でも、問題作。