マッドマックス:フュリオサ(2024・オーストラリア/アメリカ)

監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー/ニコ・ラソウリス
音楽:トム・ホルケンボルフ
出演:アニャ・テイラー=ジョイ/クリス・ヘムズワース/アリーラ・ブラウン/トム・バーク 他
★★☆☆☆


フュリオサは死なない

退屈しなかったといえばウソになる。しかし概ね楽しかったのも事実である。特に冒頭のフュリオサの母ちゃんが活躍するパートと、あくまでも空からの攻撃にこだわるバイカー軍団の分派との戦闘シーンは面白かった(それぞれ長かったけど)。
そして終映後には、十二分に「マッドマックス的なもの」を頭に詰め込まれたような感じがして、もうしばらく結構です、という気分になった。


で、振り返って感想をば言葉にしてみようとするうちに、僕は何分バカだから今頃ハッと思い当たったのだが、本作の主人公フュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)は劇中何度も死ぬような目に遭い、ついには片腕を失ったりしながらも、しかし生き延びて最後には復讐を果たすので、その復讐の具体的な方法にはちょっと引きつつも、まあまあスカッとさせられた訳であるが、これ、よく考えたらごく当たり前の結末なんである。だって本作は前作『怒りのデスロード』のプリクエル(前日譚)なんだから。だから彼女が死ぬわけはないし、片腕を失うのも、前作で彼女は義手を装着して登場するんだから、いわば予定されていた事態なのである。


もしも本作を観ている最中にこのことを意識してしまっていたら、もっと退屈に感じたに違いない。これはプリクエルというもののネガティブな一面だと思う。結果は先に出ていて、本作はそこに至る経緯の説明でしかないのだ。
もちろん、そんなことはジョージ・ミラーだって百も承知であるわけで、とにかく「そもそもフュリオサが死ぬわけないじゃん」ということに観客が気をとられないように、いろいろな手練手管を駆使している。こういう場合、「代わりに死ぬ奴を出す」というのも常套手段であり、その手も使っている。


しかし「フュリオサは死なないことを約束されている」ということを念頭に置いて、本作を振り返ると、劇中のあれやこれやの大騒ぎもことごとく無意味・無駄に思えてきてしまう。だが繰り返すが、観ている間はそのことは脳裏に浮かばなかった。だからそれだけの力はある作品なのだとは思う。