2023年9月の鑑賞記録

『バービー』TOHOシネマズ新宿 '23・9・1
『ビッグ・トラブル』(ジョン・カサヴェテス特集)ストレンジャー '23・9・10
『福田村事件』ユーロスペース '23・9・12
『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』新宿ピカデリー '23・9・13
『ア・チャイルド・イズ・ウェイティング(愛の奇跡)』(ジョン・カサヴェテス特集)ストレンジャー '23・9・16
『ミニー&モスコウィッツ』(ジョン・カサヴェテス特集)ストレンジャー '23・9・16
『トゥー・レイト・ブルース(よみがえるブルース)』(ジョン・カサヴェテス特集)ストレンジャー '23・9・24

『ビッグ・トラブル』のラストには「NOT THE END」という字幕が出る。つまり「終わりではない」ということである。これは「この映画はここでとりあえず終わりますが、登場人物たちの人生はこの後も続いていきますよ」という意味での「終わりではない」だと解釈している。
「NOT THE END」で終わるのは『ビッグ・トラブル』に限らない。今年の6月から先月にかけて、ジョン・カサヴェテスの全監督作品を観てみて、彼の作品はどれも『ビッグ・トラブル』のように字幕こそ出ないが「NOT THE END」であって、すなわち登場人物たちの今後も続いていく人生の一断面を捉えてラストシーンにしていると思うに至った。
例えば『こわれゆく女』。その直前まで殺すか殺されるかみたいな修羅場を繰り広げていたのに、まるで憑き物が落ちたように寝るための準備をし始めるジーナ・ローランズピーター・フォークのあたふたした様子を捉え続けるラストシーン。
あるいは『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』。命の危機から何とか逃れて、路上で一人佇むベン・ギャザラ。しかしこのままで済むはずもなく、八方ふさがりの状態が何も解消されないまま物語は終わる。
監督二作目の『トゥー・レイト・ブルース(よみがえるブルース)』の結末では、事情があってバラバラになってしまったジャズバンドのメンバーが一堂に会し、主人公が作曲した曲を演奏する。一見大団円のように見えなくもないが、途中で歌うのをやめてしまう歌手のステラ・スティーブンスの表情を見ると、今後彼らが昔のような良好な関係に戻れるとはとても思えない。
何も根本的に解決していないし、この先は何がどうなるのか全くわからないが、それでも彼・彼女らは生きていくしかないーーそしてそのことを肯定するというカサヴェテスの意思表示としての「NOT THE END」の刻印こそが、僕にとっては彼の作品の大きな魅力である。