ディック・ロングはなぜ死んだのか?/ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ/泣く子はいねぇが

ディック・ロングはなぜ死んだのか? (2019・アメリカ)
監督:ダニエル・シャイナート
脚本:ビリー・チュー
音楽:アンディ・ハル/ロバート・マクダウェル
出演:マイケル・アボット・Jr/ヴァージニア・ニューコム/アンドレ・ハイランド/サラ・ベイカー 他
★★☆☆☆

ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ(2019・アメリカ)
監督:ジョー・タルボット
脚本:ジョー・タルボット/ロブ・リヒャート
音楽:エミール・モッセリ
出演:ジミー・フェイルズ/ジョナサン・メジャース/ティチーナ・アーノルド/ダニー・グローヴァー 他
★★★☆☆

泣く子はいねぇが(2020・日本)
監督:佐藤快磨
脚本:佐藤快磨
音楽:折坂悠太
出演:仲野太賀/吉岡里帆余貴美子柳葉敏郎 他
★★★★☆


「ボンクラ・グローイング・アップ」3本立て

一見全く関連性はないように見える、この3作品。実は3本とも「ボンクラな主人公が、訳のわからないことをやらかした結果、成長せざるを得なくなる話」なのでは?と思うので、まとめてみました。

※以下、それぞれの作品の内容に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

まず『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』(以下『ディック』)。主人公のジーク(マイケル・アボット・Jr)は、妻子持ちでありながらアマチュアバンド活動に入れ込んでいる能天気な男ですが、実はバンド仲間と、××の×××を×××に××するという完全に頭がおかしい趣味(?)を長年密かに続けており、ある日、仲間の一人のディックがその「趣味」が原因で急死。焦った彼ともう一人のバンド仲間は秘密を隠蔽しようとアレコレと画策するんですが全て失敗し、警察によって真相が明らかにされてしまう。
『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』(以下『ラスト』)の主人公・ジミー(ジミー・フェイルズ)は一見好青年風ですが、とっくに他人の手に渡った、かつて自分が住んでいた家に忍び込んでは勝手に掃除したりペンキを塗り直したりするという奇行を繰り返した挙げ句、ついには違法占拠を企てるところまで行動がエスカレート。もちろんそんなことをしてもその家が手に入るはずもなく、結局は諦めるしかない。
『泣く子はいねぇが』(以下『泣く子』)では、主人公・たすく(仲野太賀)は、吉岡里帆が演じる妻・ことねとデキ婚しておきながら全然父親の責任に目覚めていない感モロ出しの男であり、大晦日の夜のナマハゲの行事の最中に泥酔した勢いで何故か全裸になってしまい、その姿がテレビで中継されるという大惨事を引き起こした結果、離婚して上京する羽目になる(まあ、この作品はこの後が本筋なんですが)。
こうして並べてみると、やはり大筋では「同じ話」だと言ってもいいと思えるんですが、どうでしょうか。
さらに興味深いのが、この3本とも主人公に同性の相棒的な友人がいて、劇中で献身的に助けるという点。まあ『ディック』における、ジークのバンド仲間・アールは本当にポンコツで、事態を悪化しかさせませんが、逃げようと思えば自分だけ逃げ出せる状況なのにジークを見捨てないので献身的とは言ってもいいと思う。一方で『ラスト』の、ジミーの親友モントと『泣く子』の、たすくの幼馴染らしき男・志波はかなり有能で、おまけにちょっとあり得ないくらいに献身的です。モントは、エスカレートするジミーの無謀な行動に文句ひとつ言わず付き合い続けるし、志波は、地元に帰ってきて、ことねとの復縁を目指して奮闘するたすくを黙々とサポートする。それぞれの主人公に弱みでも握られているのか?と邪推してしまうほどです。
しかし、彼らの献身も空しく、『ディック』では、ジークは妻子と別れて町から出ることになるし、『ラスト』では、ジミーはサンフランシスコから旅立つことになり、『泣く子』のたすくは、ことねと復縁することはできずに終わる。
でも、もしも、この主人公たちがそれぞれ「やらかしたこと」が、彼らの希望通りに収束していたら、きっと従来の「気持ちはわかるけどそれはアカンで?」と言いたくなる立ち位置に安住し続けただろうと推測されるので、これらは決してバッドエンドではなく、上記の通り、彼らにとって必要な「成長」への一歩を意味しているのだと僕は思っています。それが彼ら自身にとって幸福なことなのかどうかは別にして。

※12月14日・15日加筆修正