れいこいるか (2019)

製作国:日本
監督:いまおかしんじ
脚本:佐藤稔
音楽:下社敦郎
出演:武田暁/河屋秀俊/豊田博臣/美村多栄/時光陸/田辺泰信 他
★★★★☆


自分にかけた「呪い」を解く方法

最近、理由はわからないんですけど、昔のイヤな思い出が不意に脳裏に甦ることが多くなってきて困ってます。「あんなことをしなければ良かった」「あの時、こうするべきだった」などという今更どうすることもできない後悔の念だけがベッタリ貼りついているのが共通点の様々な記憶が、何の脈絡もなく脳内で再生されるたびに思わずうめき声を上げたくなるんですが、いちいち「うぅ~」だの「あぁ~」だの発声するのもみっともないので代わりに舌打ちをするのがクセになってしまい、それはそれでよろしくないなあと思う。
こういうのは、いったいどうすればいいんですかね? 意識して忘れようとしても、そうすればするほど却って鮮明に思い出したりしてしまい、これはいわば自分で自分にかけた「呪い」みたいなものだなと少々大げさですが思っています。

※以下、物語の内容に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

その意味合いでいうと、本作に登場する伊智子(武田暁)と太助(河屋秀俊)という男女もまた、それぞれが自らに「呪い」をかけている。それは何かというと、阪神・淡路大震災によって、二人の娘である「れいこ」を死なせてしまったという忌まわしい記憶です。
でも、この二人が「呪い」を抱えていることは表面上はわからない。本作では「れいこ」が亡くなってから23年という時間が劇中で流れるんですが、その間に二人は離婚して、それぞれが一見ごく普通に生活している様子が描かれるし、伊智子に至っては何度か再婚もする。これには「え? 再婚すんの?」と思う人もいると思う。何しろ彼女は、娘が死んだ時に不倫相手とラブホテルにいたという事情もあり、太助よりも深く自分を責めていてもおかしくはないので、もう忘れちゃったのかよ、ひでえ女だなと観客が思ったとしても不思議ではない。
しかし、物語が進行するにつれて、伊智子も太助も全く「れいこ」のことを忘れられてはいないということが、よく注意して観ているとわかってくる。「れいこ」に買ってあげたイルカのぬいぐるみを手放すことができない太助はもちろん、何人もの男と関係を持つ伊智子も、その奔放な生き方とは裏腹に「れいこ」のことが頭から離れないのだということを示す描写が、23年間におよぶ物語のあちこちに、さりげなくちりばめられているからです。
そして、紆余曲折の果てに、23年後に偶然街角で再会した二人は、まるで旧友同士のように飲み明かした後に、太助の部屋に転がり込むんですが、そこで伊智子は、やはり「れいこ」を忘れられてはいなかったのだということがいよいよ誰の目にも明らかになる。その時、太助は彼女に初めて「許す」という意味の言葉をかけ、そして二人は、あのイルカのぬいぐるみと共に眠りにつくんですよ。
ここでは「呪い」の解き方が語られたのだと僕は思っていて、それはつまり“「呪い」と共に生きていく”ということなんですね。忘れようとしても不可能ならば、その記憶と一緒に生きていくしかない。本当はここに至るまでも、そうとは意識することなく二人ともそうして来たんだけれども、これまでは苦しみでしかなかっただろうと思うんですよ。しかし、「共に生きるのだ」と決めることで苦しさは軽減するんじゃないか。だから、ラストシーンの二人はあんなに晴々と笑っているんじゃないかと思います。

※12月8日加筆修正