ダークナイト

これは「選択」についての映画である

バットマンクリスチャン・ベール)はゴッサムシティで犯罪と戦い続けていた。ある日、白塗りの顔に赤く裂けた口を持つ正体不明の男・ジョーカー(ヒース・レジャー)が現れ、次々に凶悪な事件を起こし始める。そんな中、正義感に燃える新任の地方検事・ハービー・デント(アーロン・エッカート)はゴードン警部補(ゲイリー・オールドマン)、バットマンと協力して犯罪との戦いを強力に推し進めていく。一方、ジョーカーはバットマンを追いつめるための計画を開始するのだった……。

※以下、ネタバレあります。

1)バットマン

バットマンことブルース・ウェインは、幼少期に受けたトラウマから逃れられず、コウモリの扮装をして夜な夜な街を徘徊する、一種の「狂人」であることは前作の『ビギンズ』で語られた。
本作では、彼のジレンマにスポットが当てられる。彼にとってゴッサムシティの法と秩序を守ることは、ほとんど強迫観念と化しているが、そのために彼は、しばしばそれらを破らざるを得ない。だいたい本来、法と秩序を守るのは国家(警察)の仕事なのである。彼はゴッサムシティの(自発的な)社会正義の守護者でありながら、その社会から逸脱した存在(アウトロー)であることから逃れられないというジレンマに常に苦しんでいるのだ。彼が決して殺人を犯さないのは、殺してしまえば、彼が憎む犯罪者たちと同レベルの存在に堕してしまうという恐怖からである。
ジョーカーは、その弱点を突き、バットマンに「正体を明かさなければ、市民を毎日殺す」という脅迫を突きつける。彼の存在そのものがゴッサムシティの市民にとっての脅威となる訳だ。彼にはそんな事態は耐えられない。だから、彼はマスクをマスコミの前で脱ぐ選択をせざるを得ない。
たとえジョーカーが実行しなかったとしても、このような脅迫は、いつかバットマンを排除したい誰かによって行われたことだろう。上記の通り、彼は法と秩序にがんじがらめにされたアウトローというアンビバレンツな存在だからだ。彼を「消す」ことは案外簡単なことだったのである。−−この時までは。

2)ジョーカー

ジョーカーもまた正真正銘の狂人だが、彼はバットマンと違って、何物にも縛られていない。アルフレッド(マイケル・ケイン)が劇中でいみじくも述べたように「世界が燃えるのを見て喜ぶ」種類の人間である彼の目的はゴッサムシティを混沌の中に叩き込むことである。悪が正義を凌駕し、狂気が理性を圧倒する、秩序なき世界。それが彼の目指すものだ。「ルールを無視すること」が彼の唯一のルールなのである。
この「純粋悪」とでも呼ぶべき男に対して、バットマンは無様なほど無力だ。彼はジョーカーを殺すチャンスを何度も得ながらも殺すことができない。一方ジョーカーは誰であろうが無差別に殺し放題である。ルールに手足を縛られた人間と、そもそもルールの存在を認めない人間とでは勝負になる訳がない。まさにジョーカーはバットマンに対する究極の切り札なのだ。
しかし、ジョーカーもまたバットマンを殺さないことを選択する。犯罪を犯し、社会を混乱させる行為自体をゲームとして楽しむ彼にとっては、バットマンの存在は、いわばゲームにおける「敵キャラ」である。「敵キャラ」のいないゲームはやり甲斐がない。だから彼はバットマンを生かすことを選んだ。彼に言わせれば、バットマンは遊び甲斐のあるおもちゃに過ぎなかった。−−この時までは。

3)トゥー・フェイス

地方検事ハービー・デントは、ごく普通の人間である。ただ少々正義感が強すぎただけだ。彼はそのために恋人のレイチェル(マギー・ギレンホール)ともども生命の危機にさらされる。
ジョーカーが仕掛けた罠によって、別々の場所に監禁された二人は、対照的な運命を辿ることになる。バットマンの方がデントが監禁された場所に早く到着したという偶然によって、彼は命を救われる。そして恋人を失う。
救出時の事故によって醜く焼けただれ、筋肉が露出した顔の左側のように、正義感で覆われていた彼の心から、抑制しがたい復讐心が漏出し始める。彼は、レイチェルの死に責任がある者たちへの私的な制裁を開始する。
「偶然」が彼を生かし、恋人を殺した。だから彼は標的となった人物を殺すか生かすかの選択を、コイン投げの結果という「偶然」に託す。彼は恋人を失っても絶対的な殺人者になりきることができない、どこまで行っても凡庸な人間なのだ。そう、観客である僕らのように、その心の内に善と悪との二つの顔(トゥー・フェイス)を同居させた、ありふれた人間。そして何かのきっかけでどちらにでも転ぶ、平凡な人間(終盤のフェリーを利用した殺人ゲームは、たまたま結果的にジョーカーの計算通りにならなかったに過ぎない、と僕は見る)。彼はゴッサムシティ市民の、そして僕らの象徴である。

4)ダークナイト

ハービー・デントは警官を含めた、何人かを殺して死んだ。しかし彼は、一時はバットマンゴッサムシティを託そうとまで考えた、この街における犯罪との戦いにおいての重要人物である。その彼が私的な復讐心から連続殺人を犯したことが世間に知れ渡れば、ゴッサムシティでの対犯罪闘争は大きく後退する。マスコミは地検や警察を叩き、市民からの信頼はますます失われるだろう。
だから、バットマンは決断する。デントが犯した罪を全て自分が被ることを。
彼は、ついに真の「アウトロー」になることを選択したのである。彼はこれから殺人犯として警察に追われることになる。−−彼は自分を縛っていた法と秩序から自らを完全に解き放ったのだ。彼はもう市民を人質にとった脅迫にも応じないだろうし、もし次の対決の機会が訪れれば、あるいはジョーカーを殺すかもしれない。
彼は単なる「街の自警市民」を超越した存在になった。正義を護るために、あえて悪を為す存在−−「闇の騎士」に変貌を遂げたのである。
それが彼にとって幸福なことではないことだけは確かだ。しかし選択はもはや為されてしまったのである。


本作はアメコミ世界における善と悪について、「選択」というテーマを通じて、とことん考察し抜いた秀作である。必見。