Mr.ブルックス〜完璧なる殺人鬼

完璧なる基地外の人生迷走記

オレゴン州ポートランドで、ある日、若いカップルの射殺死体が発見される。現場に残された被害者の血で捺された指紋から、アトウッド刑事(デミ・ムーア)は「指紋の殺人鬼」と呼ばれる連続殺人犯が2年の沈黙を破り、再び殺人を始めた事を知る。実は、その殺人鬼の正体は、地元でも指折りの名士である実業家、アール・ブルックスケビン・コスナー)だった。彼は、自らの殺人の欲望に負けて、ついに2年ぶりに殺人を犯してしまったのだ。しかし、彼は思わぬ失敗をしていた。カップル殺害の際、その現場を一人の青年(デイン・クック)によって隠し撮りされてしまっていたのだ……。


冒頭、ケビン・コスナーのために開かれたパーティーから帰る車内に三人の人物が乗っている。運転席にケビン・コスナー、助手席にコスナーの妻、そして後部座席にはウィリアム・ハート。ハートはコスナーに「マーシャル」と呼ばれている。彼はコスナーにしきりに囁く。「我慢するなよ」「獲物を見に行くくらいはいいだろ?」「今頃はダンス教室にいるはずだ」。コスナーは最初は拒んでいるが、結局は「家に帰る前に甘いものでも食べよう」などと妻に言って、「獲物」がいるダンス教室の向かいのカフェに寄ってしまう。もちろん妻にはウィリアム・ハートは見えていないし、コスナーとハートの会話も聞こえていない。ウィリアム・ハートはコスナーの殺人の欲望が人格化した存在であり、つまり、コスナー演じるブルックス氏は完全に狂っているのである。/しかし基地外の人にしては、ブルックス氏は頭が切れる。殺人現場を撮影された上に、撮影したデイン・クックがデミ・ムーアに目をつけられそうになっても、彼はあわてない。まあ頭が完璧にイッているからこそ、そういう状況下でも平然としていられるのだとも言える。/彼はあくまでも冷静に計算し、全ての事態を丸く収める計画を考え出し、実行に移す。ところが、これが所詮は既知外の悲しさ。特にデミ・ムーアを始末するための計画は、行き当たりばったりにも程がある穴だらけの代物である。しかし、当の本人が別に死んでもいいと思っているので、結果的にどう転んでも良かったのだろう(この思考法がいかにも危地害)。結局は、デイン・クックがあまりにもボンクラだったために、かなりブルックス氏にとって都合の良い結末となる。/この作品は、完璧に頭がアレな人の内面を、殺人の欲望だけ切り離して人格化するという離れ技を駆使して、かなりリアルに描くことに成功しているのではないかと思う。惜しいのは余計な脇すじが多いことだ。デミ・ムーアの離婚トラブルとか、彼女に復讐しようとする脱獄囚とか全部不要。ていうか、デミ・ムーア自体がそもそもいらなかった。/ケビン・コスナーは自分のパブリック・イメージを利用して、一見紳士なのに実は救いようのない変態殺人鬼という難役を熱演。特に自分の娘にも殺人を嗜好する血が流れていると知った時の絶望的な表情は良かった。いくら吉外でも娘は可愛いのである。/「もう二度とやらない」と言いつつ、結局はそのうちに、また殺っちゃうんだろうなあと暗示するラストも秀逸。このダークな味わい、嫌いじゃない。