ノーカントリー

このろくでもなく素晴らしくもない世界で

舞台は1980年代のテキサス。狩りをしていたベトナム帰還兵のモス(ジョシュ・ブローリン)は、偶然に、恐らく麻薬の取引上のトラブルで双方が撃ち合いになり、共倒れになったと思われる現場を発見する。そこには大量の麻薬と200万ドルという大金が残されていた。この200万ドルを盗んだために、モスはシガー(ハビエル・バルデム)という殺し屋に追跡される羽目になる。さらにモスを助けるべく保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)も捜索を開始するのだが……。
このシガーという男は前代未聞の異常な殺人者として描かれている。彼の目的は200万ドルの奪回のはずだが、その過程で無意味な殺人を次々と犯していく。たまたま入った雑貨屋の親父の命を、コインの裏表に賭けさせたりもする。さらには本来殺すべきではない対象も彼は次々に手にかける。目的を達するために殺人を犯すはずが、いつのまにか殺人そのものが目的になってしまっているのだ。彼は、いわば「不条理な死」の象徴的存在である。誰に、いつ、どこで降りかかるか予測も対処も不可能な「不条理な死」をもたらす者。それが彼だ。
このような怪物的な相手に対して、モスの抵抗は無駄であり、ベルもまた全く無力だ。
そして最終的にベルは、もはや現代で正義と治安を守ることは、自分にはできないということを理解するに至る。なぜなら今やシガーのような人間はアメリカに、いや世界中に溢れているからだ。
映画はベルの諦念に満ちた独白で終わる。それには、この世界で生きることへの絶望感が滲んでいる。それはそのままコーエン兄弟からの、世界に向けたメッセージなのだと僕には思えた。