人のセックスを笑うな

恐るべき「女子オーラの泉」映画

とある水曜日のシネセゾン渋谷。サービスデーで入場料1000円ということもあったのだろうが平日なのに満席。しかも女子率9割。隣りは女子高生の二人組。なんとも言えない居心地の悪さを感じつつ鑑賞。
さて「魔性の女」と言えば杉本彩みたいな女性を思い描きがちだが、それはステレオタイプな連想であって、この映画での永作博美こそ、まさに魔性。その永作に見込まれた、絵に描いたような青二才の松山ケンイチは、誘われるがままにズッポリと爛れた愛欲の世界に堕ちていくのであった……などとピンク映画紹介風に表現したら怒られそうだが、でも、この作品の内容を端的に書けば、ズバリこういうことなのである。
しかし、全然そういう内容には「観えない」のはなぜかと言えば、永作博美が、魔性は魔性でも「魔性の女子」だからである。そして彼女を中心として泉のごとく発せられる「女子オーラ」(*)が、年増女と若造の不倫の恋の物語を、非常に愛らしい青春恋愛映画に変容させているからなのだ。本作の監督、井口奈己は恐ろしく完成度の高い「女子映画」として、この作品を仕上げることに成功している。そりゃ客席も女子で埋まるわって話である。
だが、作品の全編を覆う「女子オーラ」のためか、松山ケンイチをはじめとする男性陣全員が、まるで覇気がないように感じられ、数少ない男性客の一人である僕には、なんか歯痒かったのもまた事実なのだった。

*「女子オーラ」とは何か。それを説明するのは非常に難しい。なんというか女子が好む雰囲気・空気・記号といったようなものである。この作品を観れば、わかる人にはわかる、と思う。