トールマン(2012)

製作国:アメリカ/カナダ/フランス
監督:パスカル・ロジェ
脚本:パスカル・ロジェ
音楽:トッド・ブライアントン
出演:ジェシカ・ビールジョデル・フェルランドスティーヴン・マクハティ 他
初公開年月:2012/11/03
★★★★☆


ホラーの文体によって描かれた「イヤミス

最近「イヤミス」が売れているらしい。「イヤミス」とは、読後の後味が悪く、イヤな気分になりがちなミステリー小説を指す言葉で、主な書き手は、湊かなえ沼田まほかる真梨幸子らだとのこと。上記の作家の作品は全く読んでいないのだが、もしも「後味が悪いミステリー」という条件をクリアすれば「イヤミス」なのだとすれば、この『トールマン』は完全に「イヤミス」ではなかろうか。いや、より正確には「ホラーの文体によって描かれたイヤミス」と言えるのではないだろうか。

(※以下、ストーリーに触れていますので、予備知識無しにご覧になりたい方は、鑑賞後、お読みください)
本作の冒頭、主人公・ジュリア(ジェシカ・ビール)は顔に大怪我を負って、手当を受けている。そこへFBIの捜査官ドッド(スティーヴン・マクハティ)が入ってきて、子供たちは発見できなかったと告げる。そこから物語内の時間は36時間前に遡る。
舞台となるのは、鉱山が閉鎖されて、すっかり寂れてしまったワシントン州の炭鉱町コールド・ロック。この町では幼児の誘拐事件が連続して発生しており、既に18人もの子供たちが姿を消していた。町に住む人々は、正体不明の誘拐犯を伝説の子取り鬼「トールマン」と呼び、次は我が子がさらわれるのではないかという不安の中で生活している。
さて、ジュリアは、かつて、この町の診療所で働いていた医師の妻で、今は一人で町の住人のために診療所を維持しているようである。帰宅すると、一人息子らしきデビットという男の子と楽しげに遊ぶ姿が描かれる。
しかし無情にも、深夜押し入ってきた謎の人物によって、デビットは連れ去られてしまう。半狂乱になって追うジュリア。彼女は犯人が運転するトラックになんとか追いつき、横転させるが、犯人はデビットと共に逃げ去ってしまう。ジュリアは犯人を追って森の中をさまようが、ついに力尽き、道路に倒れこむ。
たまたま通りかかったドッドに助けられたジュリアは、町のダイナーに運ばれる。なんとか体力を持ち直した彼女は、ふとしたことからダイナーに集まってきた住民たちの様子がおかしいことに気づく。彼らは奇妙な緊張感を漲らせながら、着替えのためにダイナーの奥の部屋に入ったジュリアが出てくるのを待ち受けていた。ジュリアが裏口からこっそり姿を消したことを知るや、彼らは叫びだす。「森へ逃げたぞ! 見つけ出せ!」銃を持って搜索を開始する住民たち。
一方、町の保安官は森の中の廃屋に向かう。パトカーの後部座席に潜んでいたジュリアは、保安官が廃屋の中から出てきた何者かと言葉をかわすのを目撃する。保安官が去ったあと、建物内に潜入するジュリア。彼女はついにデビットを発見し……
そして世界が反転する。


――というのもオーバーだが、それくらいに衝撃的な事実が明るみになる。事態は急転直下し、真犯人が判明するのである。
そして、物語は冒頭へと回帰する。ドッドは執拗に犯人に、子供たちの行方について尋問するが、犯人は頑として口を割らない。業を煮やしたドッドは、誘拐された子供の母親を呼んで、犯人と話をさせることにする。自分が誘拐した子供の母親が相手なら、もしかすると口を滑らせるかもしれないと踏んだ訳だ。
果たして、犯人は母親に対して、子供たちを誘拐した動機と思しきことを語り始める。ここまでどちらかと言えばミステリー色強めで展開してきたこの物語が、俄然ホラーとしての不穏な輝きを放ち始めるのは、このシークエンスだ。犯人は、犯人なりの「倫理」に従って子供たちを誘拐したのだと主張するのだが、それを語る犯人の目は完全に狂っているのである。
これまでホラー映画が描いてきた「狂気」は、「とにかく人を殺したい」とか「美女を拉致監禁したい」とか、まあ言ってしまえば下世話な類のものが大半だった。しかし、本作で描かれている、この犯人の「狂気」は、ある意味崇高とさえ言える、極めて人間的な目的のためにもたらされたものなのである。この犯人は、言わばどこまでも善意に溢れている怪物なのだ。本作の後味の悪さは、ここに起因する。
「善意」の中にも「狂気」は潜んでいる。いや、およそ人間の営為を深く突き詰めていけば、そこには必ず「狂気」の源がある。そこに現代のホラー映画が開拓すべき地平があるのだと、パスカル・ロジェは本作で語っているのではないかと思うのである。