マグニフィセント・セブン(2016)

製作国:アメリ
監督:アントワン・フークア
脚本:ニック・ピゾラット/リチャード・ウェンク
音楽:ジェームズ・ホーナー/サイモン・フラングレン
出演:デンゼル・ワシントンクリス・プラットイーサン・ホークピーター・サースガード 他
★★☆☆☆


『荒野の7万人』制作希望

まあ、例によって気分がどんよりしてまして、ここは一発、人が大量に死ぬ映画でも観てうさ晴らししようかと、昨夜から女王様に鼻フックを装着させられたままの豚鼻さらしつつ、わざわざ新宿ピカデリーまで行って観てきたわけです。
で、感想はと言えば、面白くない訳ではないが残念な作品だったなあ、ということになりました。
もちろん残念なのは内容のことですが、タイトルも残念っちゃ残念な感じではあります。だってマグニフィセント・セブン」っていきなり言われても意味わかるか?って話ですよ。要するに原題そのまんまなんですけど、何故「荒野の七人」じゃダメだったんだろう。旧作と混同されるからでしょうか。だったら「荒野の七人・再起動(リブート)」とか「荒野の七人・新世紀(ジェネシス)」とかにしようって訳にもいかなかったんでしょうが「マグニフィセント・セブン」じゃ覚えにくいし言いにくいし、これでだいぶお客さんを逃がしているんじゃないかという気がします。
それで肝心の内容なんですが、こちらの想像の範囲内を一歩たりとも超えてこなかったのでがっかりしました。いくら名作のリメイクだという足枷はあるにしても、逆に考えれば「農民に雇われた七人のならず者が悪人を倒す」っていう基本ラインさえ押さえれば、あとはいくらでもアレンジできると思うんですが、なんかねえ「何も足さない、何も引かない」みたいな感じでしたよ。ところどころイイところがあるだけに惜しい。特にクリス・プラットがらみのシーンは全部良かったと言ってもいいくらいです。あとデンゼル・ワシントンのガンさばきも素晴らしいんですが、とにかく顔がね。もう顔の「圧」がすごい。デンゼル・ワシントンの「顔圧」をこころゆくまで浴びたいという人には是非お勧めです。
まあ、それはそれとして本作を観て改めて考えたんですが、本作のリメイク元のそのまたリメイク元、つまり「七人の侍」を、そのまま西部劇に「荒野の七人」として移植してしまったことには、そもそも無理があったんじゃないでしょうかね。「七人の侍」は戦国時代の日本が舞台ですから、火縄銃くらいは出てきますが、基本的にはチャンバラで接近戦が主体なので農民だってそれなりに戦力になるわけで、だから、たった七人の侍が加勢したくらいで辛くも勝利してもリアリティがあるわけです。ところがピストルだのライフルだの、さらにはダイナマイトなんてものまで当たり前に存在する西部劇の世界だと、いくらナイフ投げの名人とか二丁拳銃の達人とかが七人程度味方に付いてくれても、結局は銃器も部下も大量に保持している本作のボスキャラみたいな奴には、突き詰めて考えると敗北必至なのではないか。
そういうリアリズムに立脚して、改めて「荒野の七人」のリメイクを考えるとして、まず踏み込むべき問題は「七人で本当に足りるのか?」ということだと思うんですよ。じゃあ、何人だったら妥当なのか。70人か、700人か?そこで僕は提言したい。「7万人です」と。
「荒野の7万人」の物語は、ある日、畑を耕していたら突然石油が噴出して、一躍石油成金になってしまった村の村人たちが悩んでいるところから始まります。石油の売上金目当てに周辺の盗賊たちが襲ってくるようになったからです。
そこで彼らは用心棒を雇い、村を守ってもらおうと考えて、軍人くずれだの賞金稼ぎだのがごろごろいる町まで足を運んで、高額の報奨金を約束して、用心棒を募集します。
すると7人どころか1000人くらいが一度に集まってしまい、さらに村まで帰る途中にも噂が噂を呼んで次々に参加者が合流し、村に帰りついた頃には7万人という大軍勢に膨れ上がってしまいます。
そこへ、何も知らずにのこのこと襲ってきた盗賊たちは7万人の一斉射撃によって10秒くらいで全滅。しかし報奨金の取り分をめぐって争いが起こり、7万人が相互に殺し合いを開始してしまい、村人たちも巻き添えを喰って死に、7万人のならず者たちも結局全員死亡。死体が地平線の果てまで累々と横たわった荒野に風が吹き渡る音だけが響いてエンドマーク。これくらい振り切れたものが観たいんですよ、僕は!(鼻フックを入れたり出したりしながら)