エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(2022・アメリカ)

監督:ダニエル・クワンダニエル・シャイナート
脚本:ダニエル・クワンダニエル・シャイナート
音楽:サン・ラックス
出演:ミシェル・ヨーキー・ホイ・クァン/ステファニー・スー/ジェームズ・ホンジェイミー・リー・カーティス 他
★★★☆☆


たったひとつのありきたりなやり方

本作がアカデミー作品賞を獲ったのには、ちょっと驚いた。だって必死になってアナルに異物挿入しようとする奴や、飼い犬を凶器代わりにブンブン振り回す奴なんかと主人公が戦うシーンがある映画ですよ。他にも下品なギャグが散りばめられているし、よく受賞したなあと思うと同時に、しかし、ある意味で納得できるなとも思う。

※以下、本作の内容に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

この映画には二層のレイヤーがあって、第一のレイヤーは、確定申告のリミットが迫る中、頼りない夫・ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)や頑固な自分の父親、同性愛者である娘との間にそれぞれの問題を抱えて疲弊する主人公・エブリン(ミシェル・ヨー)が、突然夫に乗り移った「別の宇宙のウェイモンド」から依頼されて、全マルチバースを消滅させようと企む悪の化身ジョブ・トゥパキと化した「別の宇宙の娘」に立ち向かう物語。と、こう説明しても未見の人の中には何が何だかわからんという人もいるだろうが、実際こういう話なんだから仕方がない。しかも戦う方法が「別の宇宙の自分」から戦闘に役立つスキルを自分の脳にダウンロードするというもので、そのためには(例えば上記のアナルへの異物挿入のような)普段だったら絶対にやらないバカな行動を実行しなければならないという謎ルールに敵も味方も従わねばならず、結果として極めてアホらしい絵面の狂騒的なバトルが次々に繰り広げられる。
第二のレイヤーは、第一のレイヤーの物語と同時に進行するエブリンの内面の物語であり、この映画の本筋は実はこっちです。戦いの最中にエブリンは、マルチバースに無数に存在する「別の宇宙のエブリン」たちの人生を垣間見る。その中には、彼女が過去に選ばなかった道を選んで、女優になって成功しているエブリン――「このエブリン」はまさにミシェル・ヨーそのものです――も存在しており、それを知った彼女は激しい後悔に襲われる。なぜ自分は、あの時こちらの道を選択してしまったのか? なぜ自分の現在の居場所は、ややこしい確定申告やうっとうしい家族に悩まされる「ここ」なのか? 自分の人生に絶望した彼女は、自分の母親に受け入れられなかった哀しみから全ての宇宙を道連れにして「ベーグル型の虚無」に引きずり込もうとするジョブ・トゥパキと同調し、運命を共にしそうになる。それを阻止するのが意外にもウェイモンドなんですね。いったいどうやってエブリンを救うのか?それは「親切」によって(!)。
エブリンにとっては気が弱く、いつもヘラヘラしていて全く頼りなく思えていたウェイモンド。しかし実は彼は、家族にも他人にもいつも親切に接するという美徳の持ち主であり、そのおかげで、例えば到底話が通じそうもない国税局の職員(ジェイミー・リー・カーティス)に確定申告の締め切りを延ばしてもらったりもできるわけです。そんな彼だから、さっぱり訳がわからないままにエブリンの戦いに巻き込まれてしまっても、やっぱりあくまでも親切に振る舞おうとする。
その姿を見て、自分の不幸を見つめるばかりで今まで家族や他人のことを全然考えてなかったわ!ということに気づいたエブリンは、ここで覚醒し、それまで主にカンフー・スキルで戦ってきたスタイルから「如何に敵に親切にするか」に切り替えて「親切百人組手」に挑むわけですが、もう未見の人には何を書いているのか全くわからないでしょう?僕にもよくわかりません。しかしこれがクライマックスで、以下延々とエブリンの「親切攻撃」が続き、戦いを決着させます。
ここに至るまでも結構くどいなあとは思ったんですが、このクライマックスがさらにくどい。もういいよ!と叫びたくなるくらいにくどい。しかし言っていることは要するに「他人に親切にしろ!」の一言なんですよね。
何でまたこんな極めてありきたりなメッセージを、こんなにも回りくどく言わねばならなかったのかと考えてみると、ここまで噛んで含めるように言わなきゃ「みんな」がわかんないから!ということなんだろうと思う。そして、ここでいう「みんな」とは「人類」のことです。
気がつくと、コロナ禍・ウクライナ侵攻をはじめ、現在問題になっているあらゆるトピックで相反する意見を持つ人々が、他人への敬意も理解も忘れて互いに攻撃し合い、罵倒し合っている様を我々は頻繁に目にするようになっていて、下手すりゃ死人が出る勢いなわけです。その一方で、このままじゃマズいんじゃないかと考える人も世界には少なからずいて、その中に本作の監督たちも含まれていたんだと思うんですね。
そして彼らなりの方法論で、人々が殺し合わずに生きるための、ありきたりではあるが現在見失われがちなやり方を提示したのが本作であると。それが評価されて結果的にアカデミー賞受賞につながったんだろうと考えれば、冒頭に書いたように納得はできるわけです。それにしてもくどすぎるとは思うけど。