鵞鳥湖の夜 (2019)

製作国:中国/フランス
監督:ディアオ・イーナン
脚本:ディアオ・イーナン
音楽:B6
出演:フー・ゴー/グイ・ルンメイ/リャオ・ファン/レジーナ・ワン 他
★★★★☆


出会わない二人

自らも一員だったバイク窃盗団の内輪もめに巻き込まれた結果、警官を殺してしまい、逃亡するはめになった主人公の男(フー・ゴー)が、一人の娼婦(グイ・ルンメイ)と出会うところから、この映画は始まります。

※以下、本作の内容に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

しかし、二人が「出会う」ところから始まるものの、「出会っていない」とも言えるのが、この映画の特色。というのも娼婦は、男の「兄貴分」に命令されてやって来たに過ぎないからです。
その後、物語が進行していっても、二人は、恋人でもなければ友人でもなく、かと言って仲間でも相棒でもない、ちょっと何と呼べばいいのかわからない関係のままでい続ける。セックスするシーンはあるものの、彼女が娼婦である以上、それが二人の関係において何を証明するわけでもない。
むしろ、名前の付かない関係のままでいたい、二人の関係を進展させず、最初の立ち位置から一歩も動きたくないのだと、よく見れば二人の表情が語っている。「今このとき」をずっと延長し続けたいという欲望が二人をひたすら鵞鳥湖の岸辺に縛り付ける。なぜなら彼らの行く手には明るい未来は絶対に待っていない、そのことだけは最初からハッキリしているから――少なくともその予感だけは二人が共有しているからなんですね。
だから、二人は延々と、まるで物語が進行するのを妨げるかのように、警察の包囲網を突破して、どこかへ逃亡を図るなどの決定的なアクションを行おうとせず、ひたすら行き当たりばったりに行動し、結末がやってくるのを引き延ばし続ける。しかし、やっぱり予想通りの終わりはやって来てしまうんですが。
考えてみると、どんな状況下でも男と女が行動を共にすることになれば、たちまち愛情だの憎悪だのが二人の間に交流し始めるものなのだと、なまじ映画を観慣れていたりすると却って思い込んでしまいがちですが、この映画の場合、二人の間にあるのは上記のように「二人の前には暗い未来しかない」という予感だけなんですね。しかし、そのことによって二人は離れがたく結び付けられているとも言える。これを何と呼べばいいのか、適切な言葉は思いつきませんが、少なくとも「愛」とかいう手垢のつきまくった言葉が当てはまらないことは確かだと思います。

※4月25日加筆修正