許された子どもたち (2020)

製作国:日本
監督:内藤瑛亮
脚本:内藤瑛亮/山形哲生
音楽:有田尚史
出演:上村侑/黒岩よし/名倉雪乃/阿部匠晟/住川龍珠 他
★★★★☆


今そこにある地獄

最近、「つくづくこの世は地獄だなあ」などと愚痴りたくなるニュースを目にする機会が増えているような気がするんですが、特に「地獄味」を感じるのは小・中・高生の「いじめ」がらみの事案についての報道に接した時です。とにかく被害者が不登校になったり、精神を病んだり、自殺にまで追いつめられたりするというのがしんどいし、ほとんどの場合において加害者は被害者と同年代の子どもであるというのも実に救われない感がひどくて「地獄だなあ」という気分になる。
そういった「いじめ事案」の中でも最悪の、いじめがエスカレートしたことによって被害者が殺されてしまったケースの「最悪さの構造」を詳細に分析し、加害者の視点に立ったフィクションという形に練り直して、グイグイと我々観客に突きつけてくるのが本作である、という言い方ができると思います。

※以下、物語の展開に触れておりますので、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。

主人公は、ある日、本当に何気なくふと、といった感じで、いつもいじめていたクラスメートの少年を、まさにいじめている最中に殺してしまう。彼は、警察の取り調べを受けた時点では犯行を自供するんですが、母親に説得されて否認に転じ、その結果、少年審判では無罪に相当する「不処分」の決定を受けることになります。
これをきっかけにして、所謂「正義」が津波のように彼に押し寄せてきて翻弄する様が本作では描かれていく。被害者の家族の、愛する息子を殺した者にしかるべき罰を与えたいという、切羽詰まった「正義」。主人公の家族の、それでも愛する息子を守りたいという理屈ではない「正義」。「社会正義」を錦の御旗に掲げるメディアによって煽られた第三者の、殺人者は裁かれるべきだとしてリンチへと暴走する「正義」。
罪に問われなかったにもかかわらずメディアや第三者から責められることへの反発と、少年を殺してしまったことについて内心では感じているやましさの板挟みによって、主人公は向かうべき方向を見失い、延々ともがき続けるんですが、劇中で何度か彼には贖罪のチャンスが与えられます。名前を変えて引っ越した先での、いじめられている少女との出会い、いじめに加担した仲間の中で唯一、被害者に寄り添う気持ちを抱く少年との再会、あるいは、ついに勇気を振り絞って謝罪しに行った時の被害者家族との対面。
しかし彼は、それらのチャンスを、自らの弱さのために、というか自らの弱さに向かい合えないという弱さのために、ことごとく無駄にしてしまう。そして、最後の最後まで彼を盲目的に愛し続ける母親と共に、ひたすら現実から逃避し続けるという最悪の道を選んでしまう。
ラストで「もうママと一緒にどこまでも逃げるってことでいいや」という境地に落ち着いてしまった主人公は、そこに至るまでの常に緊張感が漲っていた鋭い顔つきとは真逆の、だらしなく弛緩した表情に変貌します。まるで詐欺的商法に騙されているのに成功への道を歩んでいるのだと信じて疑わない人々のような、あるいはカルト宗教を盲信してしまって絶対に自分は救われるのだと信じ切っている信者のような、第三者から見たら明らかに破滅への道を辿っているのに、渦中の当人は気づいていないという、全く救いようのない「地獄」に彼が堕ちてしまったことを、彼のその表情は示しているのです。
「少年」であるがゆえに、明らかに罪を犯しているのにうっかりと法によって許されてしまうという事態が、被害者側はもちろん加害者側をも決して救わない不条理な「地獄」を現出させてしまうという恐怖を、本作はイヤと言うほどリアルに感じさせてくれるわけですが、本当に恐ろしいのは、この「地獄」へと続く道の発端である「いじめ」を、例えば今まさに隣の家の子どもが体験しているかもしれないということで、それを思うとかなり絶望的な気分になります。

※10月23日、加筆修正