アメリカン・アニマルズ(2018)

製作国:アメリ
監督:バート・レイトン
脚本:バート・レイトン
音楽:アン・ニキティン
出演:エヴァン・ピーターズ/バリー・コーガン/ジャレッド・アブラハムソン/ブレイク・ジェナー 他
★★★★★


藪の中の“True Story”

冒頭、「THIS IS NOT BASED ON A TRUE STORY」という字幕が表示されたあと、「NOT BASED ON」が消えて「THIS IS A TRUE STORY」が残る。つまり「実話を元にした物語ではなく『真実の物語』ですよ」といきなり宣言しちゃうわけで、そんな大それたことを言いだして大丈夫なのか?と心配になりましたが、確かにそう宣言するだけのことはあって、何しろ大学の図書館から時価1200万ドル相当の稀覯本を盗み出して、それを売却し、大金を手にするという計画を立てて、実際に事件を起こした挙げ句服役した当の犯人たちが登場してくる。それも観る前に僕が予想していたようなカメオ出演なんてレベルではなく、堂々とカメラの前でインタビューを受けて、当時の心境やら事情やらを語るんですから驚きました。
基本的には、俳優たちが演じるドラマのところどころに、犯人たちのインタビューが挿入されるという構成なんですが、犯人グループの一人であるウォーレン・リプカ(エヴァン・ピーターズ)が車内でウォーレン・リプカ(本人)に「これは君の記憶どおりか?」と聞いたり、やはりグループの一人であるスペンサー・ラインハード(バリー・コーガン)が運転する車を、歩道に立ったスペンサー・ラインハード(本人)が見送ったりと、「事実」と「虚構」の境界を無効化するような演出が為されていて非常に面白い。で、こういったことをするのにはそれなりの理由があるはずで、思うに本作の監督であるバート・レイトンは、そもそも「事実」と「虚構」の間に差異なんかないんじゃないの?と考えているのではないかと思うんですよ。
例えば、ウォーレンとスペンサーがセントラルパークに行き、盗難品を買ってくれる裏社会のバイヤーに接触するという場面があります。ウォーレンがその男からメモを受け取り、スペンサーはその様子を見ていた。ところがその男の外見についての二人の記憶は全く違っている。そもそも誰が事件を主導したのかについても二人の見方はくい違う。さらに、セントラルパークで会ったバイヤーに紹介された別のバイヤーに会うためにウォーレンが一人でアムステルダムに行ったことさえ、それが本当なのかどうかをスペンサーが疑っていることも明らかになります。
つまり「事実」とは何か? それは「虚構」とどう違うのか?という問いかけが、ここでは行われている訳です。そして「事実」と「虚構」の間に違いなどないとするならば、それは「事実」とは誰に語られたかによって内容に違いが生じるものであるということが根拠となるのではないか。ウォーレンの視点から見た「事実」とスペンサーの視点から見た「事実」が一致しない以上、それを「虚構」と呼んだところで何の問題があるのか?とバート・レイトンは言っているのではないか。
こうして「真実の物語」だと宣言して始まった本作は、最終的には「真実」がぐらぐらと揺らいだ挙げ句「藪の中」に消えてしまう様を見せつけるに至ります。しかし、逆説的ですが“「事実」と「虚構」に違いはないという「真実」”こそが本作で語られたのだとすれば、まさに本作こそ本当の「真実(について)の物語」と言えるのではないでしょうか。