散歩する侵略者(2017)

製作国:日本
監督:黒沢清
原作:前川知大
脚本:田中幸子黒沢清
音楽:林祐介
出演:長澤まさみ松田龍平笹野高史長谷川博己 他
★★★☆☆


「侵略SF」の皮をかぶった寓話

2017年12月25日、下高井戸シネマにて鑑賞。
この映画、地球を侵略するためのステップとして、人間に寄生する宇宙人が登場するんですけど、その手の話ではよくあるように、吸血鬼方式でどんどん仲間を増やすといったことはしません。その代わりに彼らは人間から「概念」を奪う。例えば宇宙人に寄生された加瀬真治(松田龍平)は、まず自分の妻・鳴海(長澤まさみ)の妹(前田敦子)から「家族」という「概念」を奪うんですが、すると彼女にとって鳴海は単なる他人にしか見えなくなってしまう。また、鳴海にイラストの仕事を発注している会社の社長(光石研)は、やはり真治から「仕事」の「概念」を奪われ、突然会社の中で子供のように遊び始めてしまう…といった具合。
同じ町の中に真治をはじめとする三人の宇宙人(に寄生された人物)が出現して、人間から「概念」を奪っていくという事態が進行すると同時に、実は劇中の日本は戦争勃発の危機にさらされているということも描かれる。つまり「宇宙人の侵略」と「戦争」というふたつの非日常によって、鳴海たちの日常は脅かされているわけです。
それで面白いのは、鳴海が、自分の夫が宇宙人に寄生されたことを納得せざるを得なくなっても、なおも執拗に日常を維持し続けようとするのに対し、やはり宇宙人に寄生された天野(高杉真宙)および立花(恒松祐里)と行動を共にすることになるルポライター・桜井(長谷川博己)は、別に洗脳とかされたわけでもないのに、どんどん宇宙人よりの立場にシフトしていくんですね。で、僕は断然桜井に共感しました。「宇宙人」と「戦争」だったら「宇宙人」の方に加担しちゃうよ!という、あまりにも清々しい開き直り方が素晴らしい。黒沢清の作品には、ときどきこういうアナーキーな空気が流入することがあって、そういう時はいつも「ああ、これ好きだなあ」と思うんですが、今回久しぶりにその空気を味わった気がします。
でも本作は、いかにも「侵略SF」という相貌を見せながらも、実は極めて現代的な寓話という側面の方が強くて、そこは残念でした。ガチンコで、黒沢監督自身の旧作である『DOORⅢ』(1996)のアップグレード版のような作品に仕上げてくれていたら大満足だったのですが。